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小廻船3(イサバ船)
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作成日時 : 2006/02/16 07:45
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イサバ船
イサバという語については、江戸時代の儒学者・蘭学者の青木昆陽(1698〜1769)著の『
続昆陽漫録補
』に「大坂辺りにて魚をいろいろ商ふを五十集(いそば)と云ふなり。或云く、今はいさばと云ふ」と記されていて、江戸中期以降は魚商人を指していました。またこれとは別に、高崎藩の大石久敬が著わした『
地方凡例録
(寛政6年、1794) 』には、魚を五十集物(いさばもの)と称し、これを扱う者が五十集商人と書かれている処から、一般に魚商をイサバと呼んだと思われます。
これらを語源として[
五十集
]を運んだ船を、当初は関東方面でイサバ船と呼ぶようになったようです。ただし、一般に鮮魚の輸送船は当時、生魚船あるいは前回ご案内したように押送船といわれていたので、イサバ船は恐らく干鰯(ほしか)・スルメ・海草などの海産干魚類を主な積荷とした船を指したと考えられます。
しかし、大坂の船大工金澤兼光著の『
和漢船用集
(宝暦11年、1761)』にはそれらしい記述がないので、大坂近辺や瀬戸内地方では、別の名称が使われていたのかも知れません。何れにしてもイサバ船については、判然としない点がありますが、江戸後期以降から明治時代にはイサバは関東以西にも広まって、干魚類以外に薪炭なども積載した、比較的近距離を航行区域とする小廻船の1種だったと思われます。
画像はイサバ船の船絵馬の1例ですが、江戸時代後期の天保8年(1837)に奉納(福岡県津屋崎町<現
福津市
>、金刀比羅神社蔵)されたものです。この絵のようにイサバは外観上は弁才船とほとんど変わりが無く、多くは100石積クラスの
小型弁才船
だったと推定されます。
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