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help リーダーに追加 RSS 西洋型帆船(13)

<<   作成日時 : 2006/06/01 20:35   >>

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前回ご案内した幕府海軍創設に伴ってオランダに発注した咸臨丸(原名:ヤパン)及び朝陽丸(原名:エド)は、前者が1857年9月22日(安政4年8月5日)、後者は1858年6月13日(安政5年5月3日)にそれぞれ長崎港に入港しています。
 この他に別途、1858年8月26日(安政5年7月18日)にイギリスのヴィクトリア女王から王室ヨット・エンペラーが将軍(家定)に寄贈され、これを幕府は蟠龍丸と命名しました。以上により幕府は安政年間に、先にオランダから供与された観光丸と咸臨丸、朝陽丸及び蟠龍丸の合計4隻の蒸気艦を保有する処となりました。
画像 ところで、右図の咸臨丸は周知のように、日本人によって初めて太平洋を横断(1860年、万延元年)した軍艦として有名です。しかしながら、これに係る技術資料が少なく、しかも文献により記述に偏りがありますが、オランダで発見された関係図面などによると、咸臨丸は1857年3月(安政4年2月)に完成した木造3本マスト・バーク型スクリュー蒸気艦で、長さ41.00m、幅8.50m、深さ5.60m、喫水3.40m、排水量625トン、100馬力の蒸気機関による航行速力は6ノットで、備砲12門を持っていたと思われます。また、朝陽丸は咸臨丸と同型だと言われているため、その要目は咸臨丸とほぼ同じだったと推定されています。
 一方、蟠龍丸はイギリスで1857年2月に完成していますが、木造2本マスト・トップスル・スクーナー型蒸気艦で、長さ41.15m、幅6.70m、喫水2.59m、排水量370トン、128馬力の蒸気機関による航行速力は7.5ノットで4門の大砲を備えていました。
 しかし、幕府が安政年間に所有した以上の4隻では、海軍の隻数が不十分だったため、その後も更にオランダやアメリカなどに新造艦を発注する傍ら、オランダから技術者・職工を招聘すると共に機械類を輸入して、長崎製鉄所(造船所)などの建設を図り、自前の蒸気船の建造に着手しました。諸般の事情によりその製造にやや手間取りましたが、1866年(慶応2年)に下図のような「千代田形」と呼ばれる、木造2本マスト・トップスル・スクーナー型スクリュー蒸気艦(砲艦)の建造に成功しました。千代田形は長さ29.67m、幅4.88m、喫水2.03m、排水量138トンで大砲3門を備え、60馬力の蒸気機関による航行速力は5ノットでした(幕府による日本製軍艦建造はこの1隻のみ)。
画像

 そして幕末慶応年間における幕府海軍の所有蒸気軍艦は、自前の千代田形を含め計8隻になっていました。安政時期の観光丸、咸臨丸、朝陽丸及び蟠龍丸と上記の千代田形以外の後に調達した船は、回天(排水量:1678トン)、富士山丸(排水量:1000トン)及び開陽丸(排水量:2590トン)の3隻です。何れもいわゆる木造機帆船ですが、富士山丸と開陽丸は新造スクリュー蒸気艦、回天は中古外車蒸気艦です。
 なお、回天は1866年(慶応2年)にイギリスから購入した外車艦イーグル(1855年、安政2年建造)を改名した船で、富士山丸(1864年、文久4年建造)は1866年アメリカから、開陽丸(1866年建造)は1867年(慶応3年)にオランダからそれぞれ購入した船でした。

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