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help リーダーに追加 RSS 西洋型帆船(14)

<<   作成日時 : 2006/06/10 08:10   >>

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ペリー来航後の幕府海軍創設の経緯について、先にその大要をご案内しました。これと併行して幕府は嘉永6年(1853)9月に寛永12年(1635)に制定された「大船建造禁止令」を解禁し、諸藩の洋式船建造への道を開きました。
 このような背景に基づき、諸藩は洋式船建造を企図しましたが、例えば幕府に命ぜられた水戸藩において、古いオランダ造船技術書やその翻訳書に準拠して、安政3年(1856)に石川島(東京都)で、3本マスト・シップ型木造帆船[旭日丸](排水量約750トン)を完成させました。また、来日中のロシア使節プチャーチン等が安政の大地震による津波によって乗艦を失ったため、幕府の許可を得たロシア人の指導の下で、その代船建造に伊豆の多数の船大工が携わり、安政2年(1855)に2本マスト・スクーナー型木造帆船(ヘダ号)を建造しました。ここで習得した造船技術により、後にこれと同型船が伊豆の君沢及び石川島で10隻建造されましたが、それらの船は最初の造船地伊豆・君沢郡に因んで「君沢形」と名付けられました。ところで、スクーナーは逆風帆走(間切り走り)に適しており、操帆が容易で乗組員も少なくて済むため、後に日本の比較的小型内航用商船(50〜100トン程度)のモデルになりました。
画像 以後、薩英戦争や下関(馬関)戦争等の幕末動乱期を経て明治時代になると、新政府は早々と明治3年(1870)3月「商船規則」を制定して、洋式船を所有する海運業者を優遇する措置を取りました。すなわち、弁才船に代表される大和型帆船から西洋型帆船への転換を積極的に推進しようと図りました。この方針に沿って導入された船の1例が右図の2本マスト・スクーナー型帆船です(福井県鮎川市加茂神社に奉納された、明治10年代のスクーナー絵馬)。
 しかしながら、わが国における伝統的造船業者である船大工にとっては、技術的に全く異なる西洋型帆船への転換は手軽に出来るものではなく、一部には上述のような建造実績があったものの、一般に当時のわが国での洋式帆船の建造能力は低かったので、西洋型船を使うとすれば多くは高価な輸入船に頼らざるを得なかったわけです。したがって、上記の商船規則は一部の海運業者を除外すると、圧倒的多数の業者には歓迎されませんでした。このため明治18年(1885)頃においても日本型帆船に対する西洋型帆船のトン数比が約13%に止まっていました。そこで明治政府は明治18年7月に「日本形500石以上ノ船舶ハ明治20年1月ヨリ其製造ヲ禁止ス」という布告を出し、西洋型船への更なる転換政策を進めようとしました。これにより一時期はその効果が現れたものの、明治時代の和船に係る造船史料や海運史料によれば、結果的には弁才船を中心とする500石積以上の大型和船が、明治20年代はおろか明治30年代になっても、依然として建造され続けていたことが分かっています。この事実は正に法令違反に当るわけですが、上記禁止令には抜け道があったと推測されます。
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 上図は明治20年に奉納された大型和船の船絵馬(福井県河野村磯前神社蔵)の1例です。図のように船体は典型的な弁才船なのですが、それに洋式帆装の1部を取り入れ、船首にジブ、船尾にスパンカーを設けています。恐らくこれで日本形では無いということで見逃されたと考えられます。絵馬によるとこの船の主帆は29反帆の2000石積クラスの大型船で、一般に合の子船と呼ばれました。このように大和型帆船を代表する弁才船に、若干の洋式帆装を導入して禁止令をかわしたと考えられる船としては、特に北海道の鰊を輸送して莫大な利益を上げていた[北前船]が挙げられます。これと前述した造船技術を導入した、比較的小型の内航用スクーナー型帆船(多くはその合の子船)が、明治から大正期まで広く就航していました。その後昭和時代になると、それらはいわゆる内航機帆船を経て機船に取って代わられました。なお、明治後期から大正期以降には軍艦や外航商船は帆無しの大型汽船・機船になり今日に至っています。

(注)輸入西洋型帆船[観晃丸]:下図は明治政府の洋式船勧奨政策に沿って、オーストラリアから輸入された観晃丸の船絵馬(明治26年福井県河野村磯前神社奉納)です。観晃丸は1868年(明治元年)オーストラリアのタスマニアで建造された船(原名はトーマスブラウン号)で、3本マスト・バーク型帆船です。要目は長さ140.4尺、幅22.9尺、深さ12.3尺で総トン数は322トンです。船籍は敦賀港で内航海運に利用されました。しかし、明治10年代以降内航船として重用されたのは、上記したように観晃丸より小型で操帆が簡単、かつ、乗組員が少なくて済む100トン前後のスクーナーでした。
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