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help RSS 悲運の戦時日本商船(10)

<<   作成日時 : 2008/04/22 19:34   >>

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 今回は当シリーズ(3)〜(8)で述べた、[南号作戦]発令直前に不運にも全滅した「ヒ86」と呼ばれた船団についてご案内します。当船団は後述するタンカーと貨物船計10隻から編成され、昭和20年(1945)1月初旬にサイゴン港とその外港のサンジャク港に南方からの資源を満載して停泊中でした。
 船団の護衛に当たったのは、昭和19年(1944)11月19日に発足し、船団護衛専門に初めて編成された第101戦隊でした。旗艦は練習巡洋艦・香椎でその他に海防艦・鵜来、大東、対馬、第23号、第27号及び第51号の計7隻からなる戦隊でした。その初陣航海は12月下旬に門司を出港、南方向け船団を護衛して、米航空機や潜水艦の攻撃をかわしながら、昭和20年1月5日にサイゴンに漸く到着していました。ただし、途中の海南島沖で海防艦・対馬がB−24の至近弾を受け楡林に取り残されたので、第101戦隊は対馬を除く計6隻で、サイゴンから門司へ向けての帰途、「ヒ86」船団の護衛に当たることになっていました。

「ヒ86」船団
さんるいす丸(三菱商事)
 昭和3年(1928)に建造されたタンカー(在来型)で、その要目は長さ136m、幅17m、主機ディーゼル2424馬力、最高速力13.3ノット、総トン数7268トン
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極運丸(極洋捕鯨)
 昭和19年(1944)に建造されたタンカー(2TL型戦時標準船)で、その要目は長さ157m、幅20m、主機2段減速蒸気タービン5000馬力、最高速力14.8ノット、総トン数10045トン(画像は同型船)
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大津山丸(三井船舶)
 昭和19年に2A型戦時標準船として竣工後、直ちに応急タンカーに改造、同年10月海軍に徴用されたが、その要目は長さ137m、幅18m、主機3連成レシプロ機関2700馬力、最高速力12.5ノット、総トン数6859トン
 本船については[こちら]も参照下さい

昭永丸(原田汽船→大阪商船)
 昭和17年(1942)に建造された貨物船(戦時標準C型)で、同年12月海軍に徴用後に応急タンカーに改造されたが、その要目は長さ98m、幅14m、主機3連成レシプロ機関2222馬力、最高速力14.5ノット、総トン数2769トン
 本船については[こちら]も参照下さい

優清丸(東京市)
 昭和12年(1937)に汚物運搬船として建造されたもので、当船団では油槽船として利用されたと推定されるが、その要目は長さ49m、幅9m、主機ディーゼル880馬力、最高速力11.6ノット、総トン数600トン
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第63播州丸(西大洋漁業)
 533総トンのタンカーであるが、その他の要目は不詳

永万丸(日本郵船)
 昭和19年(1944)に建造された貨物船(2A型戦時標準船)で、その要目は長さ137m、幅18m、主機2段減速蒸気タービン2500馬力、最高速力13.0ノット、総トン数6968トン(画像は同型船)
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辰鳩丸(辰馬汽船)
 昭和18年(1943)に建造され鉱石運搬船(1K型戦時標準船)で、その要目は長さ127m、幅17m、主機3連成レシプロ機関1900馬力、最高速力13.2ノット、総トン数5396トン(画像は同型船)
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予州丸(宇和島運輸)
 1916年(大正5)に米国で建造された貨物船Niels Nelsen(ノルウェー籍)を、昭和2年(1927)に宇和島運輸が購入したもので、その要目は長さ125m、幅16m、主機蒸気タービン2400馬力、最高速力11.4ノット、総トン数5712トン

建部丸(北日本汽船→大阪商船)
 昭和17年(1942)に建造された貨物船(戦時標準B型)で、その要目は長さ113m、幅16m、主機2連成レシプロ機関&低圧蒸気タービン2560馬力、最高速力14.5ノット、総トン数4514トン
 本船については[こちら]も参照下さい

 昭和20年(1945)1月6日の午後、サイゴン港において、第101戦隊司令官(渋谷紫郎少将)が旗艦・香椎艦上に各護衛艦の幹部を招集して、船団の護衛方針等について協議中、ルソン島西北部のリンガエン湾(フィリピン)に米上陸軍の大輸送船団及びその支援艦隊が現れた、との一報が齎されました。
 以上のような緊迫した状況に至ったため、急遽、船団は1月9日12:00サンジャクを出航し大陸沿岸迂回ルート、すなわち陸岸から約2キロメートルの沖合いを旗艦・香椎を先頭に、輸送船は5隻ずつ2列縦隊となり、その右側を海防艦4隻と後方を1隻の海防艦で取囲んで、原速8ノットで航行しました。10日になるとB−24が1機飛来して執拗な偵察を行ったが、北上を続け11日バンフォン湾に仮泊、次いでキノン湾に避泊しました。12日朝07:00、キノン湾を発して間もなくの08:55、米艦上機が3機、09:55には5機、更に11:04には16機の艦上爆撃機が現れたため、彼我の間で約30分に亘る猛烈な戦闘が行われました。このとき1〜2機の敵機を撃墜したようであったが、予州丸永万丸が直撃弾を受け火災を発生して、それぞれ12:00頃と12:25頃にキノン湾北方30マイル付近で沈没しました(予州丸乗組員の戦死者45名、永万丸は戦死者19名)。
 その後しばらく敵機は姿を隠したので、船団は態勢を整えて北上を続けたが、14:00頃になると再び約70機の艦上爆撃機が飛来して一斉に爆撃と雷撃を始め、12日の夕刻までに延べ150機に及ぶ敵機の攻撃により、遺憾ながら「ヒ86」船団は1月12日中に全滅しました。予州丸及び永万丸以外の被害概要は次の通りです。

 さんるいす丸:16:00頃、攻撃を受けキノン湾北方沿岸に座洲したが、17:00頃再度の空爆で大火災を起こし焼失(乗組員3名戦死)。
 極運丸:15:20頃、ポンソン南東20キロメートル付近で直撃弾を受けて火災発生、付近の浅瀬に沈座(乗組員40名戦死)。
 第63播州丸:15:30頃、至近弾により浸水が始まり、アンヨ岬南方12キロメートル付近に擱座(乗組員8名戦死)。
 優清丸:15:30頃、直撃弾を受けて火災発生、キノン湾北方フナラク海岸に座洲(乗組員1名戦死)。
 大津山丸:14:30頃、キノン湾北方54キロメートル付近で直撃弾を受け、陸岸へ座洲(乗組員28名戦死)。
 昭永丸:15:30頃、ハンラック北方10キロメートル付近に座洲(乗組員7名戦死)。
 辰鳩丸:15:40頃、アンヨ岬南方700メートル付近で空爆を受けて沈没(乗組員10名戦死)。
 建部丸:14:10頃、キノン湾北方54キロメートル付近で至近弾を受け、付近の陸岸に擱座(乗組員6名戦死)。

 一方、護衛艦も海防艦3隻(鵜来、大東及び第27号)が辛うじて残ったが、旗艦・香椎と海防艦2隻が撃沈されました。
 この一連の攻撃を行ったのは、当シリーズ(3)でご案内した[ハルゼー機動部隊]であったが、この他にもインドシナ半島沿岸一帯を襲い、サイゴン方面に残っていたものを含め、日本の船舶に壊滅的な打撃を与えました。このハルゼー台風により事実上、南方資源の日本本土への輸送ルートが断たれたが、1月12日の1日だけで、米機の餌食になった日本の艦艇船舶は次の数に上っています。
 船舶:33隻、14万2285総トン
 海軍艦艇:香椎を含めて海防艦、駆潜艇など13隻

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