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みんなの「戦記」ブログ

タイトル 日 時
悲運の戦時日本商船(83)
悲運の戦時日本商船(83)  昭和19年(1944)11月14日以降、首都「東京」は度重なる米機による空爆を受けていたが、昭和20年(1945)に入ると、特に規模の大きかった3月10日のいわゆる東京大空襲を始めとして、敵機は毎日のように日本本土の何処かに来襲していました。  一方、海上は更に無残であり、海上交通路は寸断され、商船などの船舶は本土近くに釘付けにされたまま、次々と撃沈されました。敵機あるいは敵艦艇の銃爆撃や砲撃による被害のみでなく、日本沿岸いたるところ瀬戸内海にまで投下された磁気機雷に触れて沈没するものが夥し... ...続きを見る

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2011/06/19 09:01
悲運の戦時日本商船(82)
悲運の戦時日本商船(82)  昭和20年(1945)6月に沖縄が米軍により占領されて以降、それまでにも増してB−29爆撃機による大空襲が連日のごとく日本各地を見舞い、その都度いくつかの都市が灰燼に帰しました。  このような状況下においても大本営はあくまで本土決戦を唱えており、京浜工業地帯の重要工業施設を満州に疎開させ、そこへ新たな軍需基地を建設し連合軍への徹底抗戦を図る構想を持っていました。この計画の一端に携わったのが今回ご案内する船団です。 ...続きを見る

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2011/06/04 19:22
悲運の戦時日本商船(81)
悲運の戦時日本商船(81)  太平洋戦争が終末期に近付いた昭和20年(1945)6月になると、日本の近海や本土沿岸においても米潜水艦や機動部隊艦艇などが跳梁跋扈し、国内近距離の港湾を結ぶ航路上で多数の輸送船が撃沈されるところとなっていたが、今回はそれらについての若干例をご案内します。 ...続きを見る

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2011/05/21 18:26
悲運の戦時日本商船(80)
悲運の戦時日本商船(80)  昭和20年(1945)3月下旬に硫黄島の攻略を終えた米軍は、同年4月1日、沖縄本島(嘉手納)へ上陸、日本軍は徹底抗戦を遂行していたが日増しに敗色濃厚となりつつあり、更に日本本土へも東京始め主要都市へのB−29爆撃機による無差別爆撃が繰返されると共に、港湾へも機雷投下が行われて商船などの船舶の航行もかなり制限を受けていました。  このような状況下の昭和20年5月下旬、北太平洋の千島列島に残存していた部隊を最終撤退させるための作戦に携わった1船団について、以下でご案内します。 ...続きを見る

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2011/05/05 18:44
悲運の戦時日本商船(79)
悲運の戦時日本商船(79)  太平洋戦争が終末期に近付きつつあった昭和20年(1945)5月中旬、南部仏印・ハッチェン港からシンガポール向け航行中の日本郵船所属「鳥取丸」が消息を絶ちました。当時、これについてシンガポールの日本海軍当局より、シャム湾入口方面において敵潜水艦の攻撃を受け沈没、乗員の全てが戦死と思われる、との情報が発せられました。  しかし、後に戦後になって鳥取丸乗組員の一部などが生存していた事が判明したので、以下ではその遭難状況と共に、本船の建造からその終焉までの動向についてご案内します。 ...続きを見る

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2011/04/24 08:50
悲運の戦時日本商船(78)
悲運の戦時日本商船(78)  昭和20年(1945)4月頃になると、太平洋戦争は終末期の様相を呈するところとなりました。これより先の米軍を主体とする連合軍による沖縄上陸作戦は、米軍が慶良間諸島の座間味島などを昭和20年3月26日上陸占領、日本軍は沖縄諸島周辺の海上でも神風特攻隊を中心とした航空部隊や無意味と目される戦艦・大和の特攻出撃作戦などで、連合軍と熾烈な戦闘を繰り広げました。  一方、米機動部隊は悠々と日本本土沿岸まで迫り、日本に辛うじて残存していた唯一の海上交通路である内地とアジア大陸間の輸送路にも、空海から激し... ...続きを見る

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2011/04/09 07:54
悲運の戦時日本商船(77)
悲運の戦時日本商船(77)  当テーマの前回(76)で述べた無謀な「特攻作戦」も確たる成果なく、昭和20年(1945)1月初旬以降、フィリピン全土とその周辺海域の制空および制海権は連合軍側に掌握されるところとなり、日本側にとってボルネオや仏印など南方方面との分断孤立を余儀なくされつつありました。  以上のような状況下において、今回ご案内するのは昭和20年4月下旬、上海に隣接する舟山列島の泗礁山錨地沖から門司に向かった「シモ03」と名付けられた船団です。 ...続きを見る

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2011/03/30 07:54
悲運の戦時日本商船(76)
悲運の戦時日本商船(76)  太平洋戦争<昭和16年(1941)12月8日〜昭和20年(1945)8月15日>において壮烈な日本軍による「特攻作戦」が行われたが、これが正式に軍の戦法として採用されたのはフィリピン・レイテ作戦からで、昭和19年(1944)10月21日にセブ基地を飛立った生還の見込みのない「特攻機」(神風特攻隊)によるものでした。  この特攻作戦には「震洋艇」と呼ばれた水上特攻兵器も使用され、これは小型モーターボートの艇首に約250キロの爆薬を装備、人間が操縦して敵艦船に衝突し自爆するという無謀な作戦でした... ...続きを見る

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2011/03/20 08:57
悲運の戦時日本商船(75)
悲運の戦時日本商船(75)  これまで見てきたように、昭和19年(1944)秋から米軍を主体とする連合軍はフィリピン・レイテ島の日本軍との攻防戦に勝利、更に昭和20年(1945)1月初旬にはルソン島へ上陸し、着々とフィリピン全土の奪回支配作戦を展開していました。  このような日本側にとって益々戦況が悪化する中、今回ご案内するのはフィリピンを始め南方方面各地への重要中継拠点に位置づけられていた台湾へ、兵員や軍需物資の輸送などの重要任務に携わった船団例です。 ...続きを見る

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2011/03/10 07:53
悲運の戦時日本商船(74)
悲運の戦時日本商船(74)  当テーマの前回[こちら]で述べた沖縄防衛のための緊急輸送「カタ604」船団は、残念ながら所期の目的を果たし得ず途中で全滅しました。しかし、その後も先に当ブログの[こちら]で述べた「カナ804」船団、更には今回ご案内する「カナ304」船団を沖縄向けに送り、当地の防衛力強化を懸命に図ったが敵機動部隊や潜水艦に阻まれ、遺憾ながら悉く失敗に帰しました。 ...続きを見る

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2011/02/27 18:04
悲運の戦時日本商船(73)
悲運の戦時日本商船(73)  昭和19年(1944)12月末において、フィリピン・レイテ島における米軍を主体とする連合軍と日本軍との攻防戦は、連合軍側の圧倒的勝利に終わり、昭和20年(1945)1月6日にはルソン島に米軍が上陸、その後米機動部隊も北上し各地が激しい空襲に曝され、南西諸島もその制圧下に置かれました。  このような状況下にあって、近々の内に次なる戦場として沖縄への来攻を予期した日本側は、あげて沖縄の防衛力強化を図るため次々と緊急輸送船団を送ったが、以下ではそれらの船団の若干例についてご案内します。 ...続きを見る

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2011/02/13 09:06
悲運の戦時日本商船(72)
悲運の戦時日本商船(72)  太平洋戦争(昭和16年<1941>12月8日〜昭和20年<1945>8月15日)において、昭和19年(1944)の秋以降、フィリピン方面の海上決戦を終えた米機動部隊(第3艦隊)は昭和20年1月南シナ海に進入、日本と東南アジア方面ルートの遮断を企図し、これまで当ブログで見てきたように仏印東沿岸において、多数の日本輸送船が撃沈されました。  以下でご案内する2船団も同上海域で米艦載機により潰滅的損害を受けたものです。 ...続きを見る

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2011/01/28 07:59
悲運の戦時日本商船(71)
悲運の戦時日本商船(71)  当ブログの前回「悲運の戦時日本商船(70)」で述べた「サシ05」船団は、海南島・三亜から仏印・サンジャクに向かう途中の昭和20年(1945)1月12日、米機動部隊空母から発進した艦載機群の猛攻に曝され護衛艦を含め敢え無く撃沈されました。  今回ご案内するのは「サシ05」船団が全滅した前日の1月11日、サンジャクを発して台湾・高雄を経由して日本本土へ向かった「サタ05」船団です。 ...続きを見る

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2011/01/12 08:23
悲運の戦時日本商船(70)
悲運の戦時日本商船(70)  昭和20年(1945)1月になると、日本と米軍を主体とする連合軍とのフィリピン攻防戦、更に米機動部隊のウルシー環礁定着化に伴い、日本本土と南方方面との分断孤立状態を余儀なくされました。  一方、太平洋方面においても、1月上旬までにサイパン、グアムが陥落、同飛行場を飛立つB−29爆撃機により日本本土は度重なる空爆に曝されつつありました。  しかし、このような戦況下にあっても、戦争継続に不可欠な石油を始めとする南方資源の本土への輸送を図らざるを得ませんでした。今回ご紹介するのもその1例で、「サ... ...続きを見る

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2010/12/26 18:39
悲運の戦時日本商船(69)
悲運の戦時日本商船(69)  当テーマ「悲運の戦時日本商船(1)」でも述べたように、太平洋戦争中に南方石油を日本に輸送するルートは大別して、パレンバンの石油をシンガポール(ブクム島・石油ターミナル基地)経由で運ぶものと、ボルネオ島・ミリの石油を運ぶものとがありました。  しかしながら、これらルートの海域は米狼群潜水艦の攻撃や米機動部隊艦載機などによるフィリピンを含む西部大西洋方面での活動が、特に昭和19年(1944)10月以降において極めて盛んになり、台湾海峡、ルソン海峡あるいは南シナ海北部方面におけるタンカーを含む日本... ...続きを見る

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2010/12/10 19:29
悲運の戦時日本商船(68)
悲運の戦時日本商船(68)  太平洋戦争(昭和16年<1941>12月8日〜昭和20年<1945>8月15日)における日本の立場は端的に言って、特に石油を確保するための戦争であったと見ることができます。開戦前に米英支蘭側のとった経済封鎖が日本にとって致命的であったのは、この油の入手が完全に断ち切られた事でした。  開戦当初、日本の年間石油需要量は少なく見積もっても350万トンであったが、日本の国内生産は年間約30万トンの天然油と約20万トンの人造石油のみでした。このため日本は東南アジア方面に進攻、蘭印などからの南方石油を... ...続きを見る

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2010/11/24 07:35
悲運の戦時日本商船(67)
悲運の戦時日本商船(67)  当テーマの前回(66)で述べた「タマ28」船団は昭和19年(1944)10月初旬、フィリピン近海において米潜水艦あるいは艦載機による攻撃に曝され、輸送船多数が犠牲となり戦況は日本にとって次第に不利な状況になりつつありました。  このような情勢の打開を図るため、日本側は陸続と兵員および武器弾薬などの軍事物資輸送をフィリピン向けに行ったが、今回ご紹介するのはその1例で、この時期としては幸運にも無事任務を終えた「モマ04」船団です。 ...続きを見る

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2010/11/08 19:47
悲運の戦時日本商船(66)
悲運の戦時日本商船(66)  昭和19年(1944)10月20日以降、フィリピン・レイテ島に於ける熾烈な日米攻防戦が行われたが、当テーマの前回でご案内した「ミマ11」船団の輸送作戦は、レイテ決戦の直前に当たっていたため、既にマニラ方面においても米機動部隊艦載機などによる空爆が繰返し実施されていました。  今回ご紹介するのはこのような最中の昭和19年10月初旬、マニラを出航して高雄へ向かった「マタ28」船団です。 ...続きを見る

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2010/10/25 08:11
悲運の戦時日本商船(65)
悲運の戦時日本商船(65)  日本は太平洋戦争中<昭和16年(1941)12月8日〜昭和20年(1945)8月15日)、東南アジア方面より戦争継続に不可欠な石油、ボーキサイト、マンガンや生ゴムなどの天然資源を日本本土へ運びました。これに携わったのが政府に徴用された商船(輸送船)で、兵員や軍需物資の諸戦場への輸送を含め、商船が極めて重要な任務を遂行した事は、これまで当ブログで縷々述べてきた通りです。  今回ご案内するのは「ミマ11」と名付けられた船団で、重油を主体とする資源をボルネオ・ミリよりマニラを経由し、最終的には日本... ...続きを見る

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2010/10/10 08:53
悲運の戦時日本商船(64)
悲運の戦時日本商船(64)  当テーマの前回ご案内したように、日本とアメリカを主とする連合国との間で行われたフィリピン攻防戦に対処するため、日本側は昭和19年(1944)中頃より、関東軍将兵の一部と隊属軍需物資を陸続とマニラ方面などへ輸送し、懸命に兵力の増強を図りつつありました。  一方、この軍事行動に不可欠な航空機、戦車あるいは軍用車輌へのガソリン等の石油製品の確保も最重要事項で、この任務にタンカー船団多数が石油輸送に携わりました。今回ご紹介するのもこの目的でシンガポールからマニラ向けに出航した、「神威」と呼ばれた船団... ...続きを見る

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2010/09/24 07:25
悲運の戦時日本商船(63)
悲運の戦時日本商船(63)  昭和19年(1944)10月、米軍がレイテ湾入口に在るスルアン島に上陸、日本軍と連合軍との熾烈なフィリピン攻防戦が開始されました。日本側はそれよりも早くからこれに至る情勢を察知しており、特に同年8月以降から連合軍の反攻に対する準備を着々と行っていました。  しかしながら、この間にあって最も重大な問題点は、ルソン海峡に跳梁跋扈する米潜水艦の存在で、当時、フィリピン防衛に向けて内地を出航した船団の半数近くが、米潜の狼群攻撃によりマニラなどの目的地に到達できなかった事でした。  この最中に、十分... ...続きを見る

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2010/09/08 19:01
悲運の戦時日本商船(62)
悲運の戦時日本商船(62)  これまで当シリーズで見てきたように太平洋戦争中<昭和16年(1941)12月8日〜昭和20年(1945)8月15日>に、日本海軍は大型客船を改造して特設航空母艦を建造し、種々の作戦に利用しました。今回ご案内する「八幡丸」も新鋭貨客船として約1年間就航後、航空母艦へ改造されたものの1例です。以下では本船の誕生から終焉に至るまでの概要をご紹介します。 ...続きを見る

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2010/08/24 07:55
悲運の戦時日本商船(61)
悲運の戦時日本商船(61)  昭和13年(1938)の初め頃、日本郵船はヨーロッパ航路へ新しく配船する客船3隻の建造を企図しました。それらは先に同航路へ就航中の鹿島丸、香取丸、諏訪丸および伏見丸の何れもが船齢40年を越えたため、それらの代船として計画したもので、NYK(日本郵船株式会社)に因んで新田丸(N)、八幡丸(Y)および春日丸(K)と名付けられた3姉妹船でした。しかしながら、春日丸は前回の当テーマ(60)でご紹介したように、本船の進水直後から海軍に買い上げられて特設空母への改造が実施され、航空母艦・隼鷹として竣工しま... ...続きを見る

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2010/08/08 09:18
悲運の戦時日本商船(60)
悲運の戦時日本商船(60)  前回<悲運の戦時日本商船(59)>ご案内した空母・隼鷹(橿原丸)および飛鷹(出雲丸)は日本郵船の客船として建造中に改造され航空母艦として竣工したが、このほかに日本郵船の貨客船から特設空母へ変身した春日丸(大鷹)、新田丸(冲鷹)および八幡丸(雲鷹)がありました。これらのうち冲鷹と雲鷹の2艦は新田丸、八幡丸として就航後に改造されたものであったが、春日丸は完成後に南米西岸線に配船される予定のところ、進水直後に予定が変更され特設空母の第1番艦とし完成しました。今回からこれらについての動向概要を順次ご案... ...続きを見る

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2010/07/25 09:15
悲運の戦時日本商船(59)
悲運の戦時日本商船(59)  太平洋戦争中<昭和16年(1941)12月8日〜昭和20年(1945)8月15日>に日本商船が海軍の特殊任務のために徴用され、軍艦の代わりに多岐にわたる用途で活躍しました。それらは日本海軍特設艦と称され、数多の商船(漁船を含む)が用途別に何らかの武装が施されたが、それらは到底正式な軍艦の武装には及ばず、あくまで自衛のための一時的装備でした。しかし、これらのなかで「特設航空母艦」は装甲を別にすれば、概ね正規の航空母艦に近い兵器や設備が施されていました。  以下では戦時中のほぼ同時期に海軍が建造... ...続きを見る

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2010/07/11 09:43
悲運の戦時日本商船(58)
悲運の戦時日本商船(58)  昭和20年(1945)を迎えると日本の太平洋戦争敗戦が次第に濃厚となり、東南アジア方面においては、1月6日以降米軍を主とする連合軍はフィリピン・ルソン島への上陸作戦を開始、3月には首都マニラを日本軍より奪回し、その後の局地的な戦闘は終戦(昭和20年8月15日)まで継続したものの、フィリピン全土はほぼ連合軍の支配下に置かれました。  一方、この頃米軍は併行して次なる攻撃目標を沖縄本島に定めていたが、今回ご案内するのは日本軍が沖縄決戦に備えて送った「カナ803」船団です。 ...続きを見る

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2010/06/28 19:22
悲運の戦時日本商船(57)
悲運の戦時日本商船(57)  太平洋戦争<昭和16年(1941)12月8日〜昭和20年(1945)8月15日>中に多数の日本商船(漁船を含む)が特殊任務のため日本海軍に徴用され、それらが改造されて軍艦の代用として利用されました。これらは海軍特設艦と称され、特設軍艦(特設巡洋艦、特設航空母艦、特設砲艦、特設敷設艦など)、特設特務艇(特設駆潜艇、特設掃海艇など)及び特設特務艦船(特設運送船、特設工作艦、特設病院船など)に分類されたが、日本商船隊の多くは太平洋戦争勃発以前に、海軍に特設艦として大型客船、貨客船あるいは貨物船を中心... ...続きを見る

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2010/06/12 08:01
悲運の戦時日本商船(56)
悲運の戦時日本商船(56)  前回[こちら]でご案内した佐伯発パラオ向けの「オ112」船団は12隻で編成されたが、その中の「でらごあ丸」、「山形丸」および「門司丸」は日本郵船所属の貨物船でした。これら3隻のうちで「でらごあ丸」は遺憾ながら任務半ばで撃沈され、山形丸と門司丸はこの任務を無事終えたが、今回はこれら2隻のやや詳細な動向とそれらの終焉までをご紹介します。 ...続きを見る

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2010/05/28 19:10
悲運の戦時日本商船(55)
悲運の戦時日本商船(55)  太平洋戦争時下の昭和18年(1943)7月以降、ソロモン海域を中心とした南太平洋に於ける戦況が刻々と急迫を告げる中、当シリーズの前回<悲運の戦時日本商船(54)>ご案内したように、日本軍は上記海域基地に対して集中的な緊急輸送を実施していました。しかしながら、この頃になると米潜水艦の行動範囲が南方海域に止まらず、日本本土の近海にまで及んできており、日本商船(輸送船)の遭難状況は悲惨なものとなってきていました。  このような背景の下で、パラオ向けに兵員および軍需物資を搭載して昭和18年10月末に... ...続きを見る

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2010/05/12 19:03
悲運の戦時日本商船(54)
 先に当ブログの[こちら]<悲運の戦時日本商船(23)>でご案内した「オ806」船団は、四国の南方2600キロメートルに位置するパラオ諸島へ兵員や軍需物資の輸送に従事したものでした。今回以下で述べる船団もこれと同じ目的で派遣された「オ105」船団です。 ...続きを見る

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2010/04/26 19:10
悲運の戦時日本商船(53)
悲運の戦時日本商船(53)  米軍を主とする連合軍はフィリピン駐留の日本軍を制圧、次いで艦船約1500隻、兵力45万をもって沖縄海上に殺到し昭和20年(1945)4月1日、嘉手納海岸から上陸を開始しました。  このような状況の下で同年3月28日に基隆を発して門司へ向かい、米潜水艦の雷撃により遭えなく全滅した「タモ51」船団(日津丸ほか計4隻)について、「日津丸」の動向を中心にご案内します。 ...続きを見る

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2010/03/25 18:34
悲運の戦時日本商船(52)
悲運の戦時日本商船(52)  昭和5年(1930)に日本郵船がシアトル航路へ投入した3隻の客船(氷川丸、日枝丸及び平安丸)が、就航後10年を経過し陳腐化してきたため、同社が同航路配船の新鋭化を目的として、2隻の高速貨客船の建造を計画しました。しかし、1939年(昭和14)9月にヨーロッパにおいて第2次世界大戦が勃発するなど状況が緊迫化してきたため、実際に建造されたのは1隻のみで、これが今回ご案内する「三池丸」です。本船は日本が太平洋戦争に突入する直前の平時に完全な姿で完成した最後の大型旅客船でした。 ...続きを見る

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2010/03/09 18:22
悲運の戦時日本商船(51)
悲運の戦時日本商船(51)  昭和19年(1944)10月17日、フィリピン・レイテ島周辺に台風が接近していたが、米軍はレイテ東方海上に艦艇並びに特務艦船314隻、輸送船420隻、兵員20万名以上を集結、同日レイテ湾口のスルアン島に上陸しました。スルアン島の日本軍守備隊は全滅、翌18日には米軍はレイテ島内の日本軍重要飛行場などを攻撃、戦線が拡大されて行きました。  その後、レイテ各地において日米間で熾烈な攻防戦が展開されたが、紆余曲折を経て12月16日には日本軍の重要軍事拠点であったオルモックが占領され、これを境としてレ... ...続きを見る

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2010/02/21 10:53
悲運の戦時日本商船(50)
悲運の戦時日本商船(50)  昭和19年(1944)7月以降、フィリピン攻防戦向けの部隊が増強輸送されていたが、米軍のレイテ島上陸作戦が実施される直前の同年10月初旬においても満州や日本各地からの兵力輸送が陸続と続けられていました。  その中で今回は、満州駐留の関東軍精鋭である機動歩兵師団の主力将兵と隊属武器や糧秣などを運んだ「タマ28」船団を取上げます。同船団は7隻の輸送船で編成されたが、以下では特に基準船として任務についた「津山丸」を中心にご案内します。 ...続きを見る

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2010/02/06 19:00
悲運の戦時日本商船(49)
悲運の戦時日本商船(49)  これまで見てきたように太平洋戦争時下の商船(輸送船)の動向は、その殆んどが空爆や雷撃による遭難の悲劇に繋がるもので、これは偏に海上護衛体制の不備に基づくものでした。既に述べたように輸送船の中には生存者ゼロと言う事例が多々あったが、南方方面に於ける輸送船の遭難は特別の場合を除き概ね救助される公算が高かったものの、救助を待って遭難漂流中に遮るものが無い直射日光に曝され続けられれば、やがて死に繋がる事が濃厚となり、以下でご案内する「長城丸」はまさにその代表例とも思われる特殊な悲運の経過を辿った船でし... ...続きを見る

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2010/01/21 08:19
悲運の戦時日本商船(48)
悲運の戦時日本商船(48)  太平洋戦争中において、日本軍は南太平洋方面の重要戦略拠点の一つとして、昭和17年(1942)7月6日にガダルカナル島(以下、ガ島と略記)を占領、飛行場建設などの軍事活動を行っていたが、同年8月初旬に米軍を主体とする連合軍の同島への反攻が始まり、爾後、彼我の熾烈な攻防戦が繰り広げられたが、圧倒的な兵力を有する米軍攻撃により日本軍は潰滅的状況に陥りました。  そのため紆余曲折を経て、昭和17年12月31日にガ島からの撤退が決定されたが、それに基づき先に当ブログの[太平洋戦争と日本商船動向(10)... ...続きを見る

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2010/01/05 19:09
悲運の戦時日本商船(47)
悲運の戦時日本商船(47)  先に当ブログの[こちら]で述べた「白山丸」は太平洋戦争中において、主に近海航路に就航した中型貨客船であったが、本船と同様に戦前型中型貨客船として戦争を生延びた他船の例として、今回は「雲仙丸」をご案内します。雲仙丸は戦争中盤以降は白山丸と同様に日本海横断航路に就航、小事故には遭遇したものの幸い撃沈を免れ、戦後は練習船に生まれ変わって商船乗組員の育成に寄与しました。 ...続きを見る

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2009/12/19 07:38
悲運の戦時日本商船(46)
悲運の戦時日本商船(46)  太平洋戦時下に行動活躍、しかし遺憾ながら撃沈された2300余隻の輸送船(商船)を眺めたとき、それら輸送船が辿った最後は実に千差万別でした。  当ブログで先に[こちら]で述べた「淡路山丸」は、昭和16年(1941)12月8日の開戦直後に、マレー半島コタバル沖で空爆により沈没第1号となり、以後戦況の激化に伴って、敵潜や敵機の本格的活動により日本商船の被害が激増、船腹量を補完するため急造された[戦時標準船]を含めて、差別無く撃沈される処となりました。  しかし、一方では少数ではあったが激しい戦火... ...続きを見る

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2009/12/01 07:24
悲運の戦時日本商船(45)
悲運の戦時日本商船(45)  昭和7年(1932)の満州国建国以来、日本と満州間の人と物資の輸送量は、年を経るに従って増加の一途を辿ったが、日本〜満州の交通路は僅かの輸送量しか持たない航空路を除けば、三つのルートが在りました。その一つは阪神から船で満州の玄関口大連へ向かうもの、別の一つは関釜連絡船を利用して釜山から満州まで鉄道を使うもの、更にもう一つは敦賀や新潟から船で日本海を横断して北朝鮮の羅津や清津を経由し、そこから鉄道により満州に向かうものでした。  それぞれ一長一短のあるルートであったが、最短時間で最も費用が安価... ...続きを見る

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2009/11/03 09:05
悲運の戦時日本商船(44)
悲運の戦時日本商船(44)  太平洋戦争開戦以来、昭和17年(1942)末までの約13ヶ月間における、わが国輸送船(商船)の喪失量は113万総トン程度で、これを月平均にすると約8万6千総トンに止まっていました。この中に昭和17年10月と11月のガダルカナル島攻防戦を強行したために、計34万6千総トンが撃沈されたものを含んでいたので、この2ヶ月間に於ける甚大な損害がなければ、月平均7万総トン位で収まっていたものと考えられ、これは海軍軍令部が開戦前に予想あるいは想定していた程度の損失量でした。この実態は昭和17年中頃の米軍が太... ...続きを見る

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2009/10/19 08:16
悲運の戦時日本商船(43)
悲運の戦時日本商船(43)  太平洋戦争は昭和16年(1941)12月8日に勃発、これまで見てきたように戦時中、数多の日本商船が陸海軍に徴用されて、太平洋や東南アジア方面の多岐にわたる戦場において、兵員、兵器、糧秣、その他の軍需物資あるいは軍事基地向け諸資材などの輸送に携わり、日夜懸命に活躍した状況をこれまで縷々ご案内しました。  今回ご紹介する貨客船・照国丸は、太平洋戦争以前の1939年(昭和14)9月3日、英仏と独間で始まった第2次世界大戦初頭において、特異な事故に遭遇し沈没した船です。 ...続きを見る

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2009/10/03 07:34
悲運の戦時日本商船(42)
悲運の戦時日本商船(42)  太平洋戦争(昭和16年<1941>12月8日〜昭和20年<1945>8月15日)開戦時、日本は639万総トンの商船を保有しており、これは英米に次ぐ世界第3位の海運国でした。しかしながら、戦時中に戦時標準船と呼ばれる商船の量産が図られたものの、日本は終戦時には合計883万総トンという膨大な商船を喪失し、潰滅的な状態に陥っていました。  しかし、当ブログで前回ご案内した「氷川丸」は幸運にも生残り、戦後も貨客船として暫く活躍した船でした。氷川丸は病院船としての任務に携わったという、特殊事情があった... ...続きを見る

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2009/09/16 20:04
悲運の戦時日本商船(41)
悲運の戦時日本商船(41)  徳川幕府の終焉が近付きつつあった安政6年(1859)に横浜が開港、爾来、今年平成21年(2009)は開港後150年目を迎え、それをを記念して横浜市において「開国博Y150」が開催(2009.4.28〜9.27)されています。同市各所で種々のイベントが実行中ですが、横浜港の山下公園桟橋に係留されている「氷川丸」もその一翼を担っています。本船が建造されたのは昭和5年(1930)で、日本郵船の貨客船であったが太平洋戦争中は海軍病院船として徴用されたため、先に当ブログの[こちら]で述べた「高砂丸」とと... ...続きを見る

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2009/08/26 19:17
悲運の戦時日本商船(40)
悲運の戦時日本商船(40)  太平洋戦争勃発時(昭和16年<1941>12月8日)において、日本が保有していた639万総トンの貨物船、客船あるいはタンカーなど、大小多数の商船が陸軍及び海軍に徴用され、軍の兵員や軍需物資の輸送あるいは病院船、また特設航空母艦や艦隊の給油艦などとして、太平洋の広範囲な海域においてその任務を遂行しました。  陸海軍に徴用された貨物船は、南方方面の戦場や軍事根拠基地へ向けて、武器弾薬、糧秣や各種機材など種々の物資輸送に携わったが、同時に兵員の戦場への輸送にも多用されました。第二次世界大戦中の欧米... ...続きを見る

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2009/08/07 07:30
悲運の戦時日本商船(39)
悲運の戦時日本商船(39)  太平洋戦争が勃発(昭和16年<1941)12月8日)したとき、日本は100総トン以上の商船を639万総トン保有しており、更に戦争中の3年9ヶ月間に新たに338万総トンの商船を建造しました。これらのうち陸海軍に徴用された輸送船(商船)は開戦から9ヶ月間においては、月平均6万4千総トンが撃沈されたに止まっていました。この損害は昭和17年(1942)6月初旬のミッドウェー海戦における大敗北、また同年8月のガダルカナル島攻防戦初期段階の輸送船喪失量を含めたものでした。しかし、昭和18年(1943)に入... ...続きを見る

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2009/07/07 18:40
悲運の戦時日本商船(38)
悲運の戦時日本商船(38)  今回ご案内するのは太平洋戦争前の日本最大級の商船で、主として南氷洋で活躍した鯨工船(捕鯨母船)の「第三図南丸」です。わが国では例えば鎌倉時代から太平洋沿岸において、手漕式小型和船による手銛を利用した沿岸捕鯨が行われていました。爾来、時代を経て明治期になってからも、手漕式捕鯨船による旧来の手銛と網を用いた捕鯨が続いていたが、これらの小型和船が暴風雨による遭難事故を起こして多数の犠牲者を出した事をきっかけに、明治時代の後期にはノルウェーから導入した西洋式捕鯨への転換が図られました。  昭和9年(... ...続きを見る

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2009/06/18 08:02
悲運の戦時日本商船(37)
悲運の戦時日本商船(37)  今回ご紹介するのは一般商船ではなく、太平洋戦争前から戦中に下関と釜山間の関釜航路に就航していた連絡船を取り上げる事としました。この航路を運航管理していたのは日本国有鉄道(現在のJR、昭和18年<1943>11月1日までは鉄道省と称されていた)で、国鉄は関釜航路のほかに稚内〜大泊(樺太<サハリン>)間の稚泊航路、青森〜函館間の青函航路や宇野〜高松間の宇高航路などの運航も司り、各航路へ連絡船を投入して旅客及び貨物の輸送に携わっていました。  ここで述べるのは関釜航路に就航した「崑崙丸」で、上記の... ...続きを見る

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2009/05/27 18:02
悲運の戦時日本商船(36)
悲運の戦時日本商船(36)  今回ご紹介する「阿波丸」は、太平洋戦争が終末に近付いた昭和20年(1945)4月1日、台湾海峡において米潜水艦(Queenfish)によって撃沈されました。この事実は太平洋戦争中に生じた数多の悲劇の一つに過ぎなかったが、阿波丸が当時敵国のアメリカの[安導券]を持った救恤品輸送船であった点が、他の輸送船の犠牲とは問題を異にしており、「阿波丸事件」と呼ばれ今日でも真相の詳細は不明のままです。  上記の安導券というのは「交戦国が国籍の如何を問わず、個人もしくは船舶または中立国もしくは敵国に属する部... ...続きを見る

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2009/03/26 07:41
悲運の戦時日本商船(35)
悲運の戦時日本商船(35)  今を去る80年前の昭和4年(1929)には世界的な経済恐慌に見舞われ、わが国海運界もまた大打撃を受けていました。そのような状況下にあって、昭和4年10月11日、ここでご案内する「浅間丸」が横浜を出帆し、ホノルル経由でサンフランシスコへ向かう初航海の途に就きました。当時の世界に誇るべき最優秀船の登場後、引き続き先に当ブログの前回及び前々回でご紹介した「鎌倉丸(秩父丸)」と「龍田丸」の両客船が、それぞれ昭和5年(1930)4月4日と4月25日、サンフランシスコ航路へ投入され、世界同時不況下にありな... ...続きを見る

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2009/03/14 08:33
悲運の戦時日本商船(34)
悲運の戦時日本商船(34)  今回ご案内する「鎌倉丸」は、前回述べた「龍田丸」の同型船で、太平洋戦争中に龍田丸と同じく、[交換船]の任務にも携わった客船です。  しかし結局、残念ながら本船も龍田丸を上回る多数の人命と共に南海に消え、悲運の生涯を終えました。 ...続きを見る

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2009/03/02 20:07
悲運の戦時日本商船(33)
 昭和16年(1941)12月8日に日本軍による真珠湾攻撃、同時に東南アジア方面への侵攻によって太平洋戦争が開始され、これまでご案内したように日本商船が戦争遂行に不可欠な兵員や軍需物資などの輸送に日夜懸命に携わりました。  今回ご紹介するのは開戦前と戦時中に特別な任務が課せられた「龍田丸」についての行動記録概要ですが、本船終焉時の船団名は不詳です。 ...続きを見る

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2009/02/17 07:37
悲運の戦時日本商船(32)
 太平洋戦争に於ける、あらゆる作戦遂行に不可欠な輸送船(商船)の被害が、増加の一途を辿る状況に対処するため、遅まきながら漸く昭和18年(1943)11月に「海上護衛総司令部」が創設されたが、昭和19年(1944)に入ると1月には、それまでの主として米狼群潜水艦による損害に加えて、新たに米航空機による事例が加わって、同月中に30万トンに達する輸送船が撃沈されました。更に昭和19年2月17〜18日の両日に亘る、トラック島(日本連合艦隊根拠地)への米機動部隊艦載機による攻撃と艦砲射撃によって、同島に停... ...続きを見る

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2009/01/20 19:36
悲運の戦時日本商船(31)
 前回ご案内した「シマ03」船団は、マニラに向かう途中で米狼群潜水艦の餌食になり、残念ながら貴重な軍需物資の輸送は失敗に帰しました。その当時の昭和19年(1944)11月中旬頃はフィリピン攻防戦が酣で、これを有利に展開させるため、中国大陸などから増援部隊を乗せた船団が陸続としてフィリピン方面に急行していました。  一方では武器弾薬、燃料や糧秣などを満載した船団が、先のシマ03船団などとして、次々とシンガポールからマニラへ向けて軍需物資の輸送が行われたが、今回以下で紹介するものも、同じ目的に携わ... ...続きを見る

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2009/01/07 19:55
悲運の戦時日本商船(30)
 先に当ブログの[こちら]などでご案内したように、日本軍と米軍によるフィリピン・レイテ島攻防戦は昭和19年(1944)11月17日、米軍がレイテ湾に在るスルアン島ほか2ヵ所に上陸した時点から開始されたが、すでに述べたように日本側はレイテ特攻輸送作戦(多号作戦)を第1次から第9次に亘り実行しました。  これらの輸送作戦において、レイテ島へ送り込まれた日本軍部隊や隊属物資は、海軍の輸送艦艇と共に輸送船(商船)が決死の活躍を行い、その事例は当ブログで先にご紹介した通りです。本作戦はレイテ島の守備に当... ...続きを見る

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2008/12/26 20:24
悲運の戦時日本商船(29)
 前回ご案内したガダルカナル島への第1次強行輸送作戦において、揚陸した第2師団兵員により、ルンガ飛行場(米ヘンダーソン基地)へ2度に亘る総攻撃を仕掛けたが、重火器の装備がなきに等しいわが軍は、充分な戦力を整えて待ち構えていた米軍に阻止され、完全な失敗に終わりました。  そこで日本陸海軍は第1次作戦実施から1ヵ月後の昭和17年(1942)11月13日、第2次ガダルカナル島強行輸送作戦が決行され、以下で述べる第1次作戦時と同様の高速輸送船11隻による船団を編成、これらに第38師団残部の兵員と軍直轄... ...続きを見る

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2008/12/07 08:46
悲運の戦時日本商船(28)
 前回ご案内したように日本軍は昭和17年(1942)5月、北太平洋・アリューシャン列島のアッツ島を占領したが、再び南に目を転じると、その1ヶ月前の同年4月、日本陸海軍は南太平洋・ソロモン諸島西端に在るニューブリテン島のラバウルを占領、ここに一大航空基地を建設して米・豪連合軍の連携を分断するため、ラバウルを拠点として南東に長く連なるソロモン諸島全体の掌握を企図しました。そしてラバウルから東へ約1000キロメートルに位置するフロリダ島のツラギに侵攻し、ここに水上機基地を設置、更にツラギから南へ約50... ...続きを見る

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2008/11/25 20:26
悲運の戦時日本商船(27)
 昭和16年(1941)12月8日の米英に対する太平洋戦争開戦後、直ちに日本軍は東南アジア全域やニューギニアなどの南方地域に進攻、併せて昭和17年(1942)6月には北太平洋・アリューシャン列島のアッツ及びキスカ両島を占領しました。この所謂アリューシャン作戦は北方より来る米軍の日本本土攻撃に備えると同時に、日本側からアリューシャン列島、更にアラスカ半島を経由して、米国本土への最短攻撃ルートを確保すると言う遠大な企図を含むものでした。  しかしながら、昭和18年(1943)5月米軍のアッツ島上陸... ...続きを見る

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2008/11/13 07:30
悲運の戦時日本商船(26)
 これまで見て来たように、輸送船による日本本土よりパラオ経由、ニューギニア方面への兵員及び隊属物資などの補給作戦は、次第に戦況が悪化する中で懸命に続行されていました。しかしながら、ニューギニア北部に点在する、ウエワク、アイタベあるいはホーランジアなどの日本軍拠点は、ニューギニア東部の連合軍航空基地や機動部隊空母から発進する航空機の度重なる攻撃を受け、昭和19年(1944)1月〜2月頃にはそれらの日本軍基地は、益々苦境に立たされつつありました。  このような状況下で決死の輸送に携わった、以下の作... ...続きを見る

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2008/11/01 07:26
悲運の戦時日本商船(25)
 当シリーズの前回(24)でご紹介した[第7次ウエワク輸送船団]6隻のうち、2隻は残念ながら撃沈されたが、残る4隻は任務を終了、昭和18年(1943)9月2日ウエワクを発して、パラオへの帰途に就きました。  その9月2日にパラオを出航して、第8次ウエワク輸送に携わった以下の小船団がありました。 ...続きを見る

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2008/10/20 07:32
悲運の戦時日本商船(24)
 昭和16年(1941)12月8日の太平洋戦争開戦後、日本軍は直ちにマレーシア、フィリピン、蘭領インドシナ(現インドネシア)、英領及び蘭領ボルネオ(現マレーシア、インドネシア、ブルネイ)方面の攻略を終えると、更にニューギニア島とソロモン諸島への侵攻作戦を開始しました。これはオーストラリアへの進攻をも視野に入れたもので、昭和17年(1942)4月までにソロモン諸島のニューブリテン島を占領して、同島のラバウルに侵攻拠点を置くと共に、ニューギニア東部のラエ、サラモアやブナを順次占領しました。  しか... ...続きを見る

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2008/10/08 08:40
悲運の戦時日本商船(23)
 当シリーズの前回(22)でご案内した「南洋委任統治領」内の西部太平洋上に在るパラオ諸島は、四国の真南2600キロメートルに位置し、その東2000キロメートルにはトラック諸島が在り、何れも太平洋戦時下における戦略上の重要拠点として位置づけられていたが、とりわけパラオ島の位置はインドネシア、フィリピン、ボルネオやマレー半島など東南アジア全域において、太平洋からの敵の侵入に対する防衛拠点として絶好の場所にあり、かつ、ニューギニア方面への補給基地としても重要な役割を担っていました。  ニューギニア戦... ...続きを見る

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2008/09/26 19:31
悲運の戦時日本商船(22)
 これまで当シリーズでご案内した太平洋戦時下における日本商船動向は、主として東南アジア方面のそれについてでした。しかしながら、太平洋戦争中に日本陸海軍が展開した戦場は、その他ほぼ太平洋方面全域に亘っており、具体的には北部のアリューシャン列島や千島列島、中・西部にかけての第1次世界大戦終了後に国際連盟から日本に統治を委任された南洋委任統治領(グアム島を除くマリアナ諸島、カロリン諸島及びマーシャル諸島)、更にはニューギニア島あるいはソロモン諸島方面に至る広大な地域でした。これが太平洋戦争なる呼称の由... ...続きを見る

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2008/09/13 09:07
悲運の戦時日本商船(21)
 今回は「多号作戦(レイテ特攻輸送)」に係る最終回として、第7次〜第9次に至る作戦経過をご案内します。 ...続きを見る

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2008/09/01 07:25
悲運の戦時日本商船(20)
 当シリーズの前回(19)に引続き、レイテ特攻輸送作戦(多号作戦)をご案内します。 ...続きを見る

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2008/08/20 07:22
悲運の戦時日本商船(19)
 当シリーズの前回(18)でご案内した「春風」船団が、マニラを出航したのは昭和19年(1944)10月20日23:40であったが、米軍は同日の10:00、レイテ島北部のタクロバン及びドラッグの2箇所に、前々日からの猛烈な空爆と艦砲射撃の後に1個師団が上陸しました。当時レイテ島の防衛に当たっていた日本軍は第16師団(垣)でしたが、米軍はその後の短期間に陸続として4個師団が上陸、わが方は垣兵団のみという5対1の兵力差となり、日本軍は圧倒的に不利な状況に追いやられました。ここに至り、早急なるレイテ増援... ...続きを見る

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2008/08/08 07:30
悲運の戦時日本商船(18)
 昭和19年(1944)以降、緊急化した南方石油の日本本土輸送に当たり、タンカーを急造して急ピッチでそれに対応したが、これまで当シリーズでご案内したように、輸送中におけるタンカーの損害も次第に増加、遺憾ながら本土への輸送量は減少の一途を辿りました。石油輸送に携わったタンカー船団はシンガポールを発し、通常、大陸沿岸迂回ルートによる輸送途次、多くはインドシナ半島東岸海域で米軍航空機と潜水艦とにより、昼間は空爆、夜間は雷撃を受けて、数多の船団が全滅あるいはそれに近い大損害を蒙ったことは、既に見てきたと... ...続きを見る

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2008/07/27 08:10
悲運の戦時日本商船(17)
 太平洋戦争中(昭和16年<1941>12月8日〜同20年<1945>8月15日)、南方から日本へ導入した天然資源は多種多様に亘ったが、就中、石油と共に重要資源として輸送されたものに鉄鉱石がありました。元々日本国内には鉄資源が乏しく、太平洋戦争以前から外国産の鉄鉱石(例えば中国・鞍山)を輸入して製鉄を行っていました。  ところで、昭和14年(1939)、日本が中国・海南島に進出するに及んで、同島西部に良質、かつ、豊富な鉄鉱石を発見したため、軍は早速これを同島の三亜(あるいは楡林)から輸送船で北... ...続きを見る

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2008/07/16 07:25
悲運の戦時日本商船(16)
 昭和19年(1944)11月は日米間のフィリピン・レイテ島攻防戦をはじめ、日本軍のルソン島防衛戦に係る兵員と隊属物資の強行輸送作戦、あるいはフィリピン全域や台湾方面をも含めて、米機動部隊艦載機の相次ぐ来襲などが重なる由々しき時期で、これまで当シリーズで見てきたように、フィリピン近海や航路上で撃沈された日本艦船が激増し、日本軍は次第に窮地に立たされつつありました。  このような戦況下にあって、先に当シリーズ(15)で述べた「ヒ81」船団に続いて、この船団を追うように昭和19年11月15日に門司... ...続きを見る

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2008/07/05 08:31
悲運の戦時日本商船(15)
 当シリーズの前回(14)でご案内した「ヒ71」船団は、船団構成及び護衛戦隊共に申し分ない陣容と思われていたにも拘らず、予想を上回る被害を受け、残念ながら期待に応えられませんでした。しかしながら、その後アメリカ軍はフィリピン・レイテ島に昭和19年(1944)10月20日に反攻上陸、フィリピン戦線の彼我の攻防戦は激化の一途を辿り、正に風雲急を告げる状況下にありました。その最中に企図された今回ご紹介する「ヒ81」船団は、「ヒ71」船団と同様にフィリピン防衛軍の増派、南方石油の積取りをそれぞれの目的と... ...続きを見る

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2008/06/23 07:30
悲運の戦時日本商船(14)
 昭和19年(1944)8月10日05:00、「ヒ71」と称する船団が、伊万里湾(佐賀県北部)を発して馬公(台湾膨湖諸島)に向かいました。当船団はフィリピン防衛軍の増強を図る第26師団(泉兵団)や航空関係要員などの精鋭部隊が乗船する輸送船団とシンガポール方面へ石油積取りに赴くタンカー船団の計20隻で編成され、船速は15ノット以上の高速船を揃えた重要船団でした。船団の護衛に当たったのは、空母・大鷹(旗艦、日本郵船:春日丸改造、17380排水トン)、駆逐艦・藤波、夕凪、海防艦・平戸、倉橋、御蔵、昭南... ...続きを見る

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2008/06/12 07:30
悲運の戦時日本商船(13)
 今回ご案内するのは、昭和19年(1944)9月6日にシンガポールを発して門司へ向かう「ヒ72」船団(6隻)と、9月10日にマニラを出航した門司向けの「マモ03」船団(3隻)についてです。マニラからの船団は護衛艦が無かったため、「ヒ72」船団と西沙諸島東方海上300キロメートル付近で、9月11日午前中に合流し、9隻の合同船団となって高雄(台湾)を経由して門司へ行く予定でした。 ...続きを見る

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2008/06/01 09:16
悲運の戦時日本商船(12)
 前回の当シリーズ(11)でご案内した「モタ30」船団が門司を出航する約2週間前、昭和19年(1944)12月19日夕刻に、「モタ38」と称する船団が門司を出帆しました。当船団は次のような陸軍特殊船3隻と貨物船及びタンカー各1隻の計5隻で編成され、特殊輸送船と貨物船はフィリピン・ルソン島守備隊の増派、タンカーはシンガポールから日本本土向けの石油輸送がそれぞれに課せられた任務でした。以下ではこの「モタ38」船団とその復航となった「マタ40」船団についてご案内します。 ...続きを見る

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2008/05/21 07:33
悲運の戦時日本商船(11)
 昭和20年(1945)1月1日、門司(六連島泊地)を出航した1船団がありました。この船団は「モタ30」船団と呼ばれ、以下で述べる貨客船1隻を含む6隻の貨物船と3隻のタンカーで編成され、それぞれ高雄(台湾)を経由して貨物船はマニラへのルソン島防衛軍の増派、タンカーはシンガポールへ向かい南方石油の日本本土への輸送を企図したものでした。  しかしながら、昭和19年(1944)10月以降、沖縄、台湾を含めた東シナ海方面は米機動部隊艦載機や中国沿岸航空基地から飛来する米爆撃機の制圧下に置かれ、12月下... ...続きを見る

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2008/05/11 09:09
悲運の戦時日本商船(10)
 今回は当シリーズ(3)〜(8)で述べた、[南号作戦]発令直前に不運にも全滅した「ヒ86」と呼ばれた船団についてご案内します。当船団は後述するタンカーと貨物船計10隻から編成され、昭和20年(1945)1月初旬にサイゴン港とその外港のサンジャク港に南方からの資源を満載して停泊中でした。  船団の護衛に当たったのは、昭和19年(1944)11月19日に発足し、船団護衛専門に初めて編成された第101戦隊でした。旗艦は練習巡洋艦・香椎でその他に海防艦・鵜来、大東、対馬、第23号、第27号及び第51号... ...続きを見る

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2008/04/22 19:34
悲運の戦時日本商船(9)
 先に当シリーズ(3)〜(8)でご案内したように、南方石油の特攻輸送を企図した「南号作戦」は、昭和20年(1945)3月29日「ヒ88J」船団の全滅によって終焉しました。  一方、この時期は日本本土の主要都市が連日、米爆撃機B−29による猛爆に曝され、かつ、関門海峡を始めとする主要港湾岸に同機が機雷多数を投下、船舶の航行封鎖作戦が執拗に繰返されていました。これにより商船は諸港内に釘付けにされ、必要物資の輸送に支障を来たしていたが、無理を承知で出港すれば忽ち触雷沈没、さりとて止まればB−29の標... ...続きを見る

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2008/04/11 07:33
悲運の戦時日本商船(8)
 今回ご案内するのは「南号作戦」に携わり、「ヒ88J」と称された最後の船団です。しかしながら、途中まで同行した貨物船以外の本土向けタンカーは、雄図むなしく全て撃沈されて消滅し、本特攻作戦は終焉を迎えました。 ...続きを見る

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2008/03/30 09:28
悲運の戦時日本商船(7)
 昭和20年(1945)1月20日に発動された、南方石油特攻輸送に係る「南号作戦」は、これまで当シリーズでご案内してきたように、2月末までに本土へ帰着したタンカーは幾隻もなく、惨憺たる結果を齎し正に無謀で実りなき特攻作戦だったと言わざるを得ません。しかしながら、益々枯渇する一方の本土に於ける石油事情を考慮して、僥倖と奇跡を神頼みとし同年3月にシンガポールを発したが、敢え無く全滅した船団についてご紹介する事としました。 ...続きを見る

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2008/03/22 09:04
悲運の戦時日本商船(6)
 前回の当シリーズ(5)に引続き、南方石油の特攻輸送に携わり、幸いにも2隻のタンカーが日本本土へ帰着した「ヒ96」船団、一方、遺憾ながら敢えなく全滅した悲劇の「ヒ98」船団の夫々について大要をご紹介します。 ...続きを見る

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2008/03/16 08:58
悲運の戦時日本商船(5)
 昭和20年(1945)1月下旬、フィリピン・ルソン島の制圧にほぼ成功したアメリカ軍は、それまで以上にインドシナ半島沿岸や台湾あるいは沖縄方面にも連日激しい空爆を繰返していたが、このような状況下にあった同年2月中旬、[南号作戦]に基づいてシンガポールを出航した「ヒ90」と「ヒ92」船団について、以下でご案内します。これらによる特攻船の内、ヒ90、ヒ92船団中のそれぞれ1隻が、敵の海・空からの執拗な攻撃をかわしながら、幸運にも日本内地への油送に成功しました。 ...続きを見る

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2008/03/07 07:35
悲運の戦時日本商船(4)
 先に当シリーズ(3)でご案内した[せりあ丸]は、南方石油輸送に係る「南号作戦」の第1船として、幸運にも特攻輸送に成功しました。これを第1陣として引続き計10回の南号作戦が強行実施されたが、以後これらのうちの若干例をご紹介します。今回はフィリピンや台湾方面における戦況が日本にとって益々悪化の一途を辿る中で、せりあ丸に引続き特攻任務に携わったが遺憾ながら全滅した「ヒ88B」及び「ヒ88D」船団について、その大要を述べる事としました。 ...続きを見る

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2008/02/25 07:34
悲運の戦時日本商船(3)
 昭和19年(1944)10月20日、米軍は大挙してフィリピン・レイテ島に上陸、爾来、日米が激突したレイテ沖海戦(捷一号作戦)等においても、彼我の攻防戦はアメリカ軍の圧倒的勝利に終わり、12月中旬には同島に展開中の日本部隊は壊滅的状態に陥り、レイテ島における日本軍の組織的な戦闘はほぼ終息していました。次いで昭和20年(1945)1月9日に米陸軍の大部隊が米海軍機動部隊の援護の下で、ルソン島西部に位置するリンガエン湾から、フィリピン中枢部の同島に上陸を開始しました。更に1月12日の早朝、ハルゼー大... ...続きを見る

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2008/02/14 07:55
悲運の戦時日本商船(2)
 太平洋戦争が勃発して2年10ヶ月余が経過した昭和19年(1944)10月17日以降、フィリピン・レイテ島への米軍反攻作戦が開始され、米海軍機動部隊は太平洋西部海域に常時、正規航空母艦15〜17隻、護衛航空母艦18〜20隻、また多数の戦艦や巡洋艦などの戦闘艦艇を配備して、フィリピン全域はもとより台湾海峡やルソン海峡あるいは南シナ海方面までも攻撃範囲として猛威を振るい、10月20日レイテ島に米軍部隊を上陸(約10万)させ、圧倒的多数の兵力と武器弾薬による攻撃により、日本側防衛軍は島内各地で撃破され... ...続きを見る

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2008/02/02 08:18
悲運の戦時日本商船(1)
 先に当ブログの[こちら]で、太平洋戦争中(昭和16年<1941>12月8日〜昭和20年<1945>8月15日)に撃沈された、大阪商船と三井船舶所属の商船についてご案内しました。今回から若干の他社船に係る戦時遭難事例を適宜ご紹介する所存で、先ずは続報の第1回として太平洋戦争終盤期に戦没した、あまり知られていないと考えられる悲劇の小型油槽船(タンカー)団を取上げてみる事にしました。  日本が太平洋戦争の開戦に踏み切った一大要因は、ジャワ、スマトラあるいはボルネオなどの東南アジア方面に埋蔵される石... ...続きを見る

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2008/01/23 20:50
太平洋戦争と日本商船動向(81)
 今回で戦没船に係る当シリーズを終えることとなりました。本テーマは前回(80)でも記した通り、2002年5月に刊行された、野間 恒編著「商船が語る太平洋戦争=商船三井戦時船史=」を引用してご案内したものです。同書は野間氏が執筆を企図されてより、3年9ヶ月を経て完成を見た大著(B5版、620頁超)で、それを当ブログ筆者の都合で分割ご紹介したため、昨年2006年6月の第1回投稿以来、1年3ヶ月を要する処となりました。この間、当ブログをご覧頂いた方々から、適宜、コメント等が寄せられ、戦後60有余年を経... ...続きを見る

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2007/09/24 09:00
太平洋戦争と日本商船動向(80)
 当シリーズ(1)「こちら」の記事は、野間 恒編著「商船が語る太平洋戦争=商船三井戦時船史=」の最初の内容を、著者のご了解を得て記述したもので、引続き同書に基づいて、戦時下において大阪商船と三井物産(船舶)に所属した商船の動向をご紹介して来ました。これ以降はその締め括りとして、同書の[補遺]に記された戦後まで生延びた、数少ない船舶についてのあらましを述べ、結びと致します。 ...続きを見る

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2007/09/19 07:27
太平洋戦争と日本商船動向(79)
紀ノ川丸(大阪商船)  下図の本船は昭和19年(1944)に建造された貨物船で、その要目は長さ64m、幅10m、主機焼玉機関400馬力、最高速力9.0ノット、総トン数873トンです。 ...続きを見る

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2007/09/13 07:32
太平洋戦争と日本商船動向(78)
先島丸(大阪商船)  下図の本船は大正7年(1918)に建造された貨物船で、その要目は長さ69m、幅10m、主機3連成レシプロ機関777馬力、最高速力10.9ノット、総トン数1224トンです。 ...続きを見る

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2007/09/07 07:29
太平洋戦争と日本商船動向(77)
牡鹿山丸(三井船舶)  下図の本船は昭和19年(1944)に建造されたタンカーで、その要目は長さ137m、幅18m、主機蒸気タービン2700馬力、最高速力13.1ノット、総トン数6892トンです。 ...続きを見る

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2007/09/01 10:23
太平洋戦争と日本商船動向(76)
愛徳丸(北日本汽船→大阪商船)  下図の本船は大正13年(1924)に建造された貨物船で、その要目は長さ69m、幅10m、主機3連成レシプロ機関940馬力、最高速力11.0ノット、総トン数1333トンです。 ...続きを見る

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2007/08/28 07:31
太平洋戦争と日本商船動向(75)
はがね丸(池田商事→大阪商船)  下図の本船は昭和13年(1938)に建造された貨物船で、その要目は長さ86m、幅12m、主機3連成レシプロ機関1872馬力、最高速力14.4ノット、総トン数1901トンです。 ...続きを見る

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2007/08/22 07:30
太平洋戦争と日本商船動向(74)
大譲丸(大阪商船)  下図の本船は昭和19年(1944)に建造された貨物船で、その要目は長さ137m、幅18m、主機蒸気タービン2250馬力、最高速力12.7ノット、総トン数6866トンです。 ...続きを見る

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2007/08/16 07:28
太平洋戦争と日本商船動向(73)
開城丸(大阪商船)  下図の本船は明治39年(1906)に建造された貨物船で、その要目は長さ85m、幅12m、主機3連成レシプロ機関2300馬力、最高速力13.9ノット、総トン数2025トンです。 ...続きを見る

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2007/08/10 07:30
太平洋戦争と日本商船動向(72)
第三筑紫丸(貝島商業→三井船舶)  下図の本船は昭和2年(1927)に建造された貨物船で、その要目は長さ69m、幅10m、主機3連成レシプロ機関950馬力、最高速力11.9ノット、総トン数1012トンです。 ...続きを見る

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2007/08/04 09:15
太平洋戦争と日本商船動向(71)
琉球丸(大阪商船)  下図の本船は明治39年(1906)に建造された客船で、その要目は長さ55m、幅9m、主機3連成レシプロ機関793馬力、最高速力12.2ノット、総トン数732トンです。 ...続きを見る

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2007/07/31 07:37
太平洋戦争と日本商船動向(70)
 太平洋戦争が終盤期を迎えた昭和20年(1945)3月26日、硫黄島での組織的な戦闘が終わったが、他方ではその翌日に米軍は慶良間群島に上陸、これは沖縄本島上陸を前に艦隊給油、補給船舶の泊地確保という作戦でした。本島への米軍上陸は4月1日に始まったが、これに先立つ2月頃から日本軍の沖縄への増強輸送が開始され、船団が鹿児島から出航していました。しかしながら、この頃には主要な輸送船舶をあらかた喪失してしまっており、船団を構成する船舶は概ね小型化し、2隻から精々数隻単位となっていました。また、既に南西諸... ...続きを見る

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2007/07/25 07:31
太平洋戦争と日本商船動向(69)
大津山丸(三井船舶)  下図の本船は昭和19年(1944)に建造された貨物船で、その要目は長さ137m、幅18m、主機3連成レシプロ機関2700馬力、最高速力12.5ノット、総トン数6859トンです。 ...続きを見る

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2007/07/19 07:31
太平洋戦争と日本商船動向(68)
大剛丸(大阪商船)  下図の本船は昭和19年(1944)に建造された貨物船で、その要目は長さ127m、幅16m、主機蒸気タービン2400馬力、最高速力12.5ノット、総トン数5244トンです。 ...続きを見る

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2007/07/13 07:31
太平洋戦争と日本商船動向(67)
音羽山丸(三井物産)  下図の本船は昭和11年(1936)に建造された油槽船(タンカー)で、その要目は長さ156m、幅20m、主機ディーゼル7802馬力、最高速力18.8ノット、総トン数9204トンです。 ...続きを見る

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2007/07/07 09:15
太平洋戦争と日本商船動向(66)
赤城山丸(三井物産)  下図の本船は大正13年(1924)に建造された貨物船で、その要目は長さ119m、幅15m、主機ディーゼル2421馬力、最高速力12.1ノット、総トン数4714トンです。 ...続きを見る

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2007/07/01 09:44
太平洋戦争と日本商船動向(65)
笠置山丸(三井物産)  下図の本船は大正14年(1925)に建造された貨物船で、その要目は長さ87m、幅13m、主機3連成レシプロ機関1633馬力、最高速力13.3ノット、総トン数2427トンです。 ...続きを見る

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2007/06/25 07:29
太平洋戦争と日本商船動向(64)
逢坂山丸(三井船舶)  下図の本船は昭和19年(1944)に建造されたタンカーで、その要目は長さ137m、幅18m、主機蒸気タービン2500馬力、最高速力13.1ノット、総トン数6925トンです。 ...続きを見る

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2007/06/19 07:34
太平洋戦争と日本商船動向(63)
金華丸(国際汽船→大阪商船)  下図の本船は昭和13年(1938)に建造された貨物船で、その要目は長さ155m、幅19m、主機ディーゼル10178馬力、最高速力21.6ノット、総トン数9305トンです。 ...続きを見る

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2007/06/13 07:34
太平洋戦争と日本商船動向(62)
護国丸(大阪商船)  下図の本船は昭和17年(1942)に建造された貨物船で、その要目は長さ157m、幅20m、主機ディーゼル16110馬力、最高速力20.6ノット、総トン数10438トンです。 ...続きを見る

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2007/06/07 07:38
太平洋戦争と日本商船動向(61)
あとらす丸(大阪商船)  下図の本船は大正9年(1920)に建造された貨物船で、その要目は長さ128m、幅17m、主機3連成レシプロ機関4622馬力、最高速力14.9ノット、総トン数7347トンです。 ...続きを見る

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2007/06/01 07:33
太平洋戦争と日本商船動向(60)
大彰丸(大阪商船)  下図の本船は昭和19年(1944)に建造された貨物船で、その要目は長さ137m、幅18m、主機蒸気タービン2500馬力、最高速力13.4ノット、総トン数6886トンです。 ...続きを見る

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2007/05/27 09:30
太平洋戦争と日本商船動向(59)
阿里山丸(三井船舶)  下図の本船は昭和19年(1944)に建造された貨物船で、その要目は長さ137m、幅18m、主機蒸気タービン2000馬力、最高速力13.3ノット、総トン数6886トンです。 ...続きを見る

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2007/05/22 07:33
太平洋戦争と日本商船動向(58)
大天丸(大阪商船)  下図の本船は昭和18年(1943)に建造された貨物船で、その要目は長さ118m、幅16m、主機蒸気タービン2200馬力、最高速力14.8ノット、総トン数4642トンです。 ...続きを見る

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2007/05/17 08:06
太平洋戦争と日本商船動向(57)
あらびあ丸(大阪商船)  下図の本船は大正7年(1918)に建造された貨客船で、その要目は長さ145m、幅19m、主機3連成レシプロ機関8153馬力、最高速力16.3ノット、総トン数9480トンです。 ...続きを見る

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2007/05/11 07:35
太平洋戦争と日本商船動向(56)
衣笠丸(国際汽船→大阪商船)  下図の本船は昭和11年(1936)に建造された貨物船で、その要目は長さ137m、幅19m、主機ディーゼル7740馬力、最高速力18.7ノット、総トン数8407トンです。 ...続きを見る

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2007/05/05 08:34
太平洋戦争と日本商船動向(55)
うらる丸(大阪商船)  下図の本船は昭和4年(1929)に建造された客船で、その要目は長さ123m、幅17m、主機蒸気タービン6658馬力、最高速力17.4ノット、総トン数6375トンです。 ...続きを見る

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2007/04/27 19:51
太平洋戦争と日本商船動向(54)
瑞穂丸(大阪商船)  下図の本船は1912年(大正1年)に英国で建造された客船で、その要目は長さ140m、幅18m、主機4連成レシプロ機関6500馬力、最高速力16.5ノット、総トン数8511トンです。 ...続きを見る

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2007/04/24 07:37
太平洋戦争と日本商船動向(53)
玄海丸(嶋谷汽船→三井船舶)  下図の本船は昭和14年(1939)に建造された貨物船で、その要目は長さ103m、幅15m、主機3連成レシプロ機関2791馬力、最高速力15.4ノット、総トン数3581トンです。 ...続きを見る

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2007/04/18 07:43
太平洋戦争と日本商船動向(52)
めき志こ丸(大阪商船)  下図の本船は明治43年(1910)に建造された貨客船で、その要目は長さ125m、幅16m、主機3連成レシプロ機関5206馬力、最高速力14.8ノット、総トン数6064トンです。 ...続きを見る

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2007/04/12 07:39
太平洋戦争と日本商船動向(51)
白金山丸(三井船舶)  下図の本船は昭和18年(1943)に建造された貨物船で、その要目は長さ118m、幅16m、主機蒸気タービン2200馬力、最高速力14.6ノット、総トン数4739トンです。 ...続きを見る

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2007/04/06 07:37
太平洋戦争と日本商船動向(50)
 昭和19年(1944)7月のサイパン島陥落直後、ハワイにおいて日本本土への侵攻ルートを決定する会議がルーズヴェルト大統領、マッカーサー将軍、キング及びニミッツ提督など出席の下で開催されました。席上、先ず台湾制圧を提案したキングの意見を退け、「フィリピンのバイパスは同国人への裏切りである」とした、マッカーサーの主張を大統領が容れ、次の反攻地はフィリピンに決定されました。  一方、日本側においても山下奉文中将を満州から転任させて第14軍司令官に任命、ルソン島の防衛力強化が図られました。このため中... ...続きを見る

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2007/03/31 08:22
太平洋戦争と日本商船動向(49)
志あとる丸(大阪商船)  下図の本船は明治42年(1909)に建造された貨客船で、その要目は長さ125m、幅16m、主機3連成レシプロ機関5066馬力、最高速力15.5ノット、総トン数6182トンです。 ...続きを見る

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2007/03/25 06:42
太平洋戦争と日本商船動向(48)
大倫丸(大阪商船)  下図の本船は昭和19年(1944)に建造された貨物船で、その要目は長さ136m、幅18m、主機3連成レシプロ機関2200馬力、最高速力12.5ノット、総トン数6862トンです。 ...続きを見る

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2007/03/20 07:39
太平洋戦争と日本商船動向(47)
臺南丸(大阪商船)  下図の本船は明治30年(1897)にイギリスで建造された貨客船で、その要目は長さ101m、幅13m、主機3連成レシプロ機関3186馬力、最高速力15.6ノット、総トン数3176トンです。 ...続きを見る

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2007/03/14 07:38
太平洋戦争と日本商船動向(46)
ばたびや丸(大阪商船)  下図の本船は大正8年(1919)に建造された貨客船で、その要目は長さ105m、幅15m、主機蒸気タービン2779馬力、最高速力12.0ノット、総トン数4393トンです。 ...続きを見る

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2007/03/08 07:38
太平洋戦争と日本商船動向(45)
山陽丸(大阪商船)  下図の本船は昭和5年(1930)に建造された貨物船で、その要目は長さ136m、幅18m、主機ディーゼル8654馬力、最高速力18.6ノット、総トン数8365トンです。 ...続きを見る

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2007/03/02 20:23
太平洋戦争と日本商船動向(44)
大鳥丸(北日本汽船→大阪商船)  下図の本船は昭和18年(1943)に建造された貨物船で、その要目は長さ85m、幅13m、主機3連成レシプロ機関(出力不詳)、最高速力(不詳)、総トン数2105トンです。 ...続きを見る

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2007/02/25 09:35
太平洋戦争と日本商船動向(43)
天津山丸(三井船舶)  下図の本船は昭和19年(1944)に建造された貨物船で、その要目は長さ137m、幅18m、主機蒸気タービン2212馬力、最高速力13.15ノット、総トン数6886トンです。 ...続きを見る

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2007/02/20 07:41
太平洋戦争と日本商船動向(42)
大寿丸(大阪商船)  下図の本船は昭和19年(1944)に建造された貨物船で、その要目は長さ137m、幅18m、主機蒸気タービン2000馬力、最高速力13.2ノット、総トン数6886トンです。 ...続きを見る

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2007/02/14 07:37
太平洋戦争と日本商船動向(41)
那岐山丸(三井物産)  下図の本船は昭和5年(1930)に建造された貨物船で、その要目は長さ110m、幅15m、主機ディーゼル2150馬力、最高速力14.3ノット、総トン数4391トンです。 ...続きを見る

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2007/02/08 19:38
太平洋戦争と日本商船動向(40)
北陸丸(大阪商船)  下図の本船は昭和5年(1930)に建造された貨物船で、その要目は長さ136m、幅18m、主機ディーゼル8360馬力、最高速力18.4ノット、総トン数8365トンです。 ...続きを見る

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2007/02/03 07:40
太平洋戦争と日本商船動向(39)
大峰山丸(三井船舶)  下図の本船は昭和18年(1943)に建造された油槽船(戦時標準船)で、その要目は長さ161m、幅20m、主機蒸気タービン18813馬力、最高速力18.8ノット、総トン数10536トンです。 ...続きを見る

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2007/01/30 08:52
太平洋戦争と日本商船動向(38)
新夕張丸(共立汽船→三井船舶)  下図の本船は昭和11年(1936)に建造された貨物船で、その要目は長さ119m、幅16m、主機3連成レシプロ機関&蒸気タービン2936馬力、最高速力15.5ノット、総トン数5355トンです。 ...続きを見る

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2007/01/24 20:21
太平洋戦争と日本商船動向(37)
天城山丸(三井物産)  下図の本船は昭和8年(1933)に建造された高速貨物船で、その要目は長さ144m、幅18m、主機ディーゼル8407馬力、最高速力19.9ノット、総トン数7624トンです。 ...続きを見る

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2007/01/18 20:22
太平洋戦争と日本商船動向(36)
清澄丸(国際汽船→大阪商船)  下図の本船は昭和9年(1934)に建造された貨物船で、その要目は長さ137m、幅19m、主機ディーゼル8375馬力、最高速力19.7ノット、総トン数8613トンです。 ...続きを見る

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2007/01/13 10:56
太平洋戦争と日本商船動向(35)
りおでぢやねろ丸(大阪商船)  下図の本船は昭和5年(1930)に建造された客船で、その要目は長さ147m、幅19m、主機ディーゼル7515馬力、最高速力17.1ノット、総トン数9627トンです。 ...続きを見る

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2006/12/27 08:45
太平洋戦争と日本商船動向(34)
秋葉山丸(三井物産)  下図の本船は大正13年(1924)に建造された貨物船で、その要目は長さ114m、幅15m、主機3連成レシプロ機関2850馬力、最高速力14.1ノット、総トン数4603トンです。 ...続きを見る

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2006/12/19 08:55
太平洋戦争と日本商船動向(33)
めなど丸(大阪商船)  下図の本船は大正11年(1922)に建造された客船で、その要目は長さ82m、幅13m、主機3連成レシプロ機関2040馬力、最高速力12.4ノット、総トン数2165トンです。 ...続きを見る

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2006/12/13 21:45
太平洋戦争と日本商船動向(32)
龍興丸(大阪商船)  下図の本船は昭和11年(1936)に建造された貨客船で、その要目は長さ91m、幅14m、主機2連成レシプロ機関&低圧蒸気タービン1878馬力、最高速力13.9ノット、総トン数2962トンです。 ...続きを見る

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2006/12/07 20:06
太平洋戦争と日本商船動向(31)
あらすか丸(大阪商船)  下図の本船は大正8年(1919)に建造された貨物船で、その要目は長さ128m、幅17m、主機3連成レシプロ機関4390馬力、最高速力14.9ノット、総トン数7379トンです。 ...続きを見る

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2006/12/02 09:29
太平洋戦争と日本商船動向(30)
ひまらや丸(大阪商船)  下図の本船は大正7年(1918)に建造された貨物船で、その要目は長さ122m、幅17m、主機3連成レシプロ機関3890馬力、最高速力15.1ノット、総トン数5229トンです。 ...続きを見る

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2006/11/26 09:15
太平洋戦争と日本商船動向(29)
ぶゑのすあいれす丸(大阪商船)  下図の本船は昭和4年(1929)に建造された客船で、その要目は長さ145m、幅19m、主機ディーゼル7737馬力、最高速力16.6ノット、総トン数9625トンです。 ...続きを見る

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2006/11/23 08:42
太平洋戦争と日本商船動向(28)
熱河丸(大阪商船)  下図の本船は昭和10年(1935)に建造された客船で、その要目は長さ129m、幅17m、主機蒸気タービン8395馬力、最高速力18.8ノット、総トン数6784トンです。 ...続きを見る

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2006/11/18 09:34
太平洋戦争と日本商船動向(27)
大忠丸(大阪商船)  下図の本船は太平洋戦争中の昭和18年(1943)に建造された貨物船で、その要目は長さ87m、幅12m、主機3連成レシプロ機関1200馬力、最高速力12.0ノット、総トン数1907トンです。 ...続きを見る

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2006/11/14 07:35
太平洋戦争と日本商船動向(26)
金華山丸(三井物産)  下図の本船は明治44年(1911)にイギリスで建造された貨物船で、その要目は長さ116m、幅16m、主機3連成レシプロ機関2300馬力、最高速力12.3ノット、総トン数4950トンです。 ...続きを見る

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2006/11/08 20:31
太平洋戦争と日本商船動向(25)
東海丸(大阪商船)  下図の本船は昭和5年(1930)に建造された貨物船で、その要目は長さ136m、幅18m、主機ディーゼル8138馬力、最高速力18.3ノット、総トン数8365トンです。 ...続きを見る

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2006/11/03 09:03
太平洋戦争と日本商船動向(24)
浙江丸(大阪商船)  下図の本船は大正6年(1917)に建造された貨物船で、その要目は長さ93m、幅13m、主機3連成レシプロ機関1976馬力、最高速力12.4ノット、総トン数3182トンです。 ...続きを見る

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2006/10/29 08:51
太平洋戦争と日本商船動向(23)
盤谷丸(大阪商船)  下図の本船は昭和12年(1937)に建造された貨客船で、その要目は長さ121m、幅17m、主機ディーゼル3140馬力、最高速力16.0ノット、総トン数5348トンです。 ...続きを見る

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2006/10/24 07:35
太平洋戦争と日本商船動向(22)
すまとら丸(大阪商船)  下図の本船は大正6年(1917)に建造された貨物船で、その要目は長さ121m、幅16m、主機3連成レシプロ機関2832馬力、最高速力14.4ノット、総トン数5857トンです。 ...続きを見る

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2006/10/18 07:35
太平洋戦争と日本商船動向(21)
高雄山丸(三井物産)  下図の本船は明治44年(1911)、イギリスで建造された貨物船で、その要目は長さ84m、幅13m、主機3連成レシプロ機関1500馬力、最高速力11.7ノット、総トン数2075トンです。 ...続きを見る

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2006/10/12 07:22
太平洋戦争と日本商船動向(20)
大寶山丸(三井物産)  下図の本船は昭和13年(1938)に建造された貨物船で、その要目は長さ81m、幅12m、主機3連成レシプロ機関1000馬力、最高速力13.5ノット、総トン数1805トンです。 ...続きを見る

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2006/10/07 11:15
太平洋戦争と日本商船動向(19)
 先に当テーマ(10)でもご案内しましたように、昭和18年(1943)2月初旬、日本軍はガダルカナル島から完全撤退しましたが、この時期と前後して連合軍の反攻が始まりました。  また、ラバウルの日本軍基地防衛を目的とし、ガダルカナル攻防作戦と併行して企図されていた、東部ニューギニア・ポートモレスビー攻略部隊(南海支隊)への輸送支援に当たるため、ダンピール海峡を渡りラバウル〜ラエ(ニューギニア東北部)間を船団が往復しましたが、これらの日本船は近隣の地にあるポートモレスビー米豪軍基地から飛来する戦爆... ...続きを見る

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2006/10/01 09:25
太平洋戦争と日本商船動向(18)
すらばや丸(大阪商船)  下図の本船は大正7年(1918)に建造された貨客船で、その要目は長さ105m、幅15m、主機3連成レシプロ機関2799馬力、最高速力12.4ノット、総トン数4391トンです。 ...続きを見る

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2006/09/26 21:33
太平洋戦争と日本商船動向(17)
はばな丸(大阪商船)  下図の本船は大正9年(1920)に建造された貨物船で、その要目は長さ124m、幅15m、主機3連成レシプロ機関3939馬力、最高速力13.3ノット、総トン数5651トンです。 ...続きを見る

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2006/09/21 12:40
太平洋戦争と日本商船動向(16)
ありぞな丸(大阪商船)  下図の本船は大正9年(1920)に建造された客船で、その要目は長さ156m、幅19m、主機3連成レシプロ機関8160馬力、最高速力16.6ノット、総トン数9696トンです。 ...続きを見る

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2006/09/14 20:12
太平洋戦争と日本商船動向(15)
かんべら丸(大阪商船)  下図の本船は昭和11年(1936)に建造された貨物船で、その要目は長さ136m、幅18m、主機ディーゼル8454馬力、最高速力19.2ノット、総トン数6477トンです。 ...続きを見る

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2006/09/09 08:45
太平洋戦争と日本商船動向(14)
ぶりすべん丸(大阪商船)  下図の本船は昭和5年(1930)に建造された貨物船で、その要目は長さ121m、幅17m、主機ディーゼル3447馬力、最高速力16.2ノット、総トン数5425トンです。 ...続きを見る

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2006/09/02 08:02
太平洋戦争と日本商船動向(13)
報国丸(大阪商船)  下図の本船は昭和15年(1940)に建造された客船で、その要目は長さ161m、幅20m、主機ディーゼル13000馬力、最高速力21.1ノット、総トン数10438トンです。 ...続きを見る

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2006/08/27 09:01
太平洋戦争と日本商船動向(12)
あふりか丸(大阪商船)  下図の本船は大正7年(1918)に建造された貨客船で、その要目は長さ145m、幅19m、主機3連成レシプロ機関7890馬力、最高速力16.3ノット、総トン数9476トンです。 ...続きを見る

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2006/08/22 21:45
太平洋戦争と日本商船動向(11)
ぼるねお丸(大阪商船)  下図の本船は大正6年(1917)に建造された貨物船で、その要目は長さ120m、幅16m、主機3連成レシプロ機関3786馬力、最高速力14.4ノット、総トン数5857トンです。 ...続きを見る

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2006/08/16 07:20
太平洋戦争と日本商船動向(10)
吾妻山丸(三井物産)  下図の本船は昭和8年(1933)に建造された新鋭貨物船で、その要目は長さ144m、幅18m、主機ディーゼル7254馬力、最高速力18.6ノット、総トン数7254トンです。 ...続きを見る

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2006/08/10 07:29
太平洋戦争と日本商船動向(9)
へいぐ丸(大阪商船) 下図の本船は大正9年(1920)に建造された貨物船で、その要目は長さ124m、幅15m、主機3連成レシプロ機関3632馬力、最高速力13.8ノット、総トン数5813トンです。 ...続きを見る

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2006/08/05 08:32
太平洋戦争と日本商船動向(8)
ぶらじる丸(大阪商船)  大阪商船が極東〜南米東岸線用客船として、昭和14年(1939)に建造したのが下図の本船で、その要目は長さ167m、幅21m、主機ディーゼル17963馬力、最高速力21.4ノット、総トン数12752トンです。 ...続きを見る

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2006/08/01 07:22
太平洋戦争と日本商船動向(7)
もんてびでお丸(大阪商船)  下図の本船は大正15年(1926)に建造された日本〜南米東岸定期航路の客船でした。その要目は長さ136.6m、幅17.1m、主機ディーゼル7628馬力、最高速力17.6ノット、総トン数7627トンです。もんてびでお丸には日本最初の国産ディーゼル機関(三菱スルザー)が搭載され、わが国造船史上特記される船であり、ジャイロ・コンパスによる自動操縦装置などの新機軸も採り入れられていました。 ...続きを見る

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2006/07/25 07:22
太平洋戦争と日本商船動向(6)
がんぢす丸(大阪商船)  下図の本船は大正7年(1918)に建造された貨客船で、その要目は長さ105m、幅15m、主機3連成レシプロ機関2529馬力、最高速力12.6ノット、総トン数4383トンです。 ...続きを見る

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2006/07/19 20:20
太平洋戦争と日本商船動向(5)
河南丸(大阪商船)  下図の本船は大正10年(1921)に建造された貨客船ですが、その要目は長さ87m、幅13m、主機3連成レシプロ機関、最高速力12.7ノット、総トン数2567トンです。 ...続きを見る

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2006/07/13 20:15
太平洋戦争と日本商船動向(4)
蓬莱丸(大阪商船)  下図の本船は1912年(明治45年)に建造され、同年よりLondon & Australian United Lineの客船として欧州〜豪州航路(船名インダーロ)、また、8年後にLloyd Royal Belgium Lineの欧州〜南米航路にベルギー客船(ペイ・ド・ウェーと改名)として就航しました。これを大正12年(1923)11月に大阪商船が買船し蓬莱(ほうらい)丸と命名しました。その要目は長さ137m、幅18m、主機4連成レシプロ機関7400馬力、最高速力16.8ノ... ...続きを見る

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2006/07/08 20:16
太平洋戦争と日本商船動向(3)
咸興丸(大阪商船)  下図の咸興(かんこう)丸は昭和13年(1938)に建造されましたが、本船艤装のユニークな点として、主機が2連成レシプロ機関でその排気を利用した低圧蒸気タービンを組み合わせていたこと、また、建設資材揚げ降ろし用の大型25トン・デリックを設置していた事が挙げられます。本船その他の要目は長さ90.8m、幅13.7m、主機1825馬力、最高速力は13.6ノット、総トン数2929トンです。 ...続きを見る

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2006/07/02 21:17
太平洋戦争と日本商船動向(2)
高雄丸(大阪商船)  右図の本船は昭和2年(1927)いわゆる貨客船として建造されましたが、その要目は長さ108m、幅15m、主機蒸気タービン3915馬力、最高速力16.3ノット、総トン数4282トンです。  高雄丸は昭和2年6月以降、台湾の高雄からバナナなどの青果物や砂糖を輸送するため、高雄・横浜(または芝浦)間を直行便として就航し、後に神戸、博多及び鹿児島にも寄港しました。  一方、昭和12年(1937)日中戦争が勃発し、日本は中国各地へ侵攻していたため、高雄丸は同年7月から約2年間、... ...続きを見る

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2006/06/25 09:18
太平洋戦争と日本商船動向(1)
ポツダム宣言を受諾して、日本は昭和20年(1945)8月15日無条件降伏し、昭和16年(1941)12月8日真珠湾攻撃で開戦した太平洋戦争が終結しました。  爾来、周知のようにわが国は60年余に亘って戦争放棄していますが、戦前において戦争突入に至った経緯や背景、あるいは戦時中の主たる戦闘地域等について、主として陸・海・空軍の戦闘行動に関する詳細な、いわゆる戦史がいまなお多数刊行されています。  しかしながら、それら戦史にはこの大戦時における日本軍の幾多の兵員や武器弾薬の輸送など、戦争遂行に不... ...続きを見る

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2006/06/16 20:30

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