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海事博物館ボランティアあれこれ
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神戸市東灘区在住の hokura と申します。自宅付近の北側に在る標高189メートルの保久良山(ほくらさん)に因んでつけたニックネームです。
2005年4月から神戸大学海事科学部(旧神戸商船大学)付属の「海事博物館」で、館内資料整理や案内などのボランティア活動に、月2〜3回程度従事することになりました。今後海事関連資料やボランティア活動状況等について、適宜ご案内したいと考えています。宜しくお付合い下さい。

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タイトル 日 時
「市民セミナー(第5回)」ご案内
 当海事博物館において、恒例の「市民セミナー」が開催されます。今回は第5回目を迎えましたが、例年通り現在開催中の『企画展[こちら]を参照』に因んだ内容の講演で、来る平成23年10月8日、15日、22日、11月5日および12日の計5日間で、各土曜日の13:30〜15:00に行われます。以下のサイトをご覧下さい。    http://www.museum.maritime.kobe-u.ac.jp/event1110.html    これらは全部または部分受講が可能ですが、参加ご希望の方は上記... ...続きを見る

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2011/09/06 09:16
当ブログに係る投稿内容とアクセス状況
当ブログに係る投稿内容とアクセス状況  平成17年(2005)4月より神戸大学海事博物館のボランティア・スタッフの一員として、館内案内や諸資料整理作業に携わっているが、それと同時に当ブログへの投稿を始め今日に至っています。 ...続きを見る

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2011/09/03 13:59
海事博物館ディジタル資料
 当神戸大学海事博物館では収蔵資料を平成11年度から順次ディジタル化し、ホーム・ページ上で画像および解説を以下の要領で公開しています。 ...続きを見る

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2011/07/12 07:30
「企画展」ご案内
「企画展」ご案内  平成23年(2011)の当海事博物館「企画展」テーマと開催期間が決定しましたので、以下ご案内します。主として西洋型帆船から現代船に至るまでの航海術や航海計器の変遷について紹介するものです。 ...続きを見る

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2011/07/01 07:51
悲運の戦時日本商船(83)
悲運の戦時日本商船(83)  昭和19年(1944)11月14日以降、首都「東京」は度重なる米機による空爆を受けていたが、昭和20年(1945)に入ると、特に規模の大きかった3月10日のいわゆる東京大空襲を始めとして、敵機は毎日のように日本本土の何処かに来襲していました。  一方、海上は更に無残であり、海上交通路は寸断され、商船などの船舶は本土近くに釘付けにされたまま、次々と撃沈されました。敵機あるいは敵艦艇の銃爆撃や砲撃による被害のみでなく、日本沿岸いたるところ瀬戸内海にまで投下された磁気機雷に触れて沈没するものが夥し... ...続きを見る

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2011/06/19 09:01
悲運の戦時日本商船(82)
悲運の戦時日本商船(82)  昭和20年(1945)6月に沖縄が米軍により占領されて以降、それまでにも増してB−29爆撃機による大空襲が連日のごとく日本各地を見舞い、その都度いくつかの都市が灰燼に帰しました。  このような状況下においても大本営はあくまで本土決戦を唱えており、京浜工業地帯の重要工業施設を満州に疎開させ、そこへ新たな軍需基地を建設し連合軍への徹底抗戦を図る構想を持っていました。この計画の一端に携わったのが今回ご案内する船団です。 ...続きを見る

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2011/06/04 19:22
悲運の戦時日本商船(81)
悲運の戦時日本商船(81)  太平洋戦争が終末期に近付いた昭和20年(1945)6月になると、日本の近海や本土沿岸においても米潜水艦や機動部隊艦艇などが跳梁跋扈し、国内近距離の港湾を結ぶ航路上で多数の輸送船が撃沈されるところとなっていたが、今回はそれらについての若干例をご案内します。 ...続きを見る

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2011/05/21 18:26
悲運の戦時日本商船(80)
悲運の戦時日本商船(80)  昭和20年(1945)3月下旬に硫黄島の攻略を終えた米軍は、同年4月1日、沖縄本島(嘉手納)へ上陸、日本軍は徹底抗戦を遂行していたが日増しに敗色濃厚となりつつあり、更に日本本土へも東京始め主要都市へのB−29爆撃機による無差別爆撃が繰返されると共に、港湾へも機雷投下が行われて商船などの船舶の航行もかなり制限を受けていました。  このような状況下の昭和20年5月下旬、北太平洋の千島列島に残存していた部隊を最終撤退させるための作戦に携わった1船団について、以下でご案内します。 ...続きを見る

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2011/05/05 18:44
悲運の戦時日本商船(79)
悲運の戦時日本商船(79)  太平洋戦争が終末期に近付きつつあった昭和20年(1945)5月中旬、南部仏印・ハッチェン港からシンガポール向け航行中の日本郵船所属「鳥取丸」が消息を絶ちました。当時、これについてシンガポールの日本海軍当局より、シャム湾入口方面において敵潜水艦の攻撃を受け沈没、乗員の全てが戦死と思われる、との情報が発せられました。  しかし、後に戦後になって鳥取丸乗組員の一部などが生存していた事が判明したので、以下ではその遭難状況と共に、本船の建造からその終焉までの動向についてご案内します。 ...続きを見る

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2011/04/24 08:50
海事博物館だより
 神戸大学海事博物館は4月より新年度を迎えましたが、以下で当館主催の平成23年度行事予定についてご案内します。 ...続きを見る

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2011/04/17 08:42
悲運の戦時日本商船(78)
悲運の戦時日本商船(78)  昭和20年(1945)4月頃になると、太平洋戦争は終末期の様相を呈するところとなりました。これより先の米軍を主体とする連合軍による沖縄上陸作戦は、米軍が慶良間諸島の座間味島などを昭和20年3月26日上陸占領、日本軍は沖縄諸島周辺の海上でも神風特攻隊を中心とした航空部隊や無意味と目される戦艦・大和の特攻出撃作戦などで、連合軍と熾烈な戦闘を繰り広げました。  一方、米機動部隊は悠々と日本本土沿岸まで迫り、日本に辛うじて残存していた唯一の海上交通路である内地とアジア大陸間の輸送路にも、空海から激し... ...続きを見る

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2011/04/09 07:54
悲運の戦時日本商船(77)
悲運の戦時日本商船(77)  当テーマの前回(76)で述べた無謀な「特攻作戦」も確たる成果なく、昭和20年(1945)1月初旬以降、フィリピン全土とその周辺海域の制空および制海権は連合軍側に掌握されるところとなり、日本側にとってボルネオや仏印など南方方面との分断孤立を余儀なくされつつありました。  以上のような状況下において、今回ご案内するのは昭和20年4月下旬、上海に隣接する舟山列島の泗礁山錨地沖から門司に向かった「シモ03」と名付けられた船団です。 ...続きを見る

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2011/03/30 07:54
悲運の戦時日本商船(76)
悲運の戦時日本商船(76)  太平洋戦争<昭和16年(1941)12月8日〜昭和20年(1945)8月15日>において壮烈な日本軍による「特攻作戦」が行われたが、これが正式に軍の戦法として採用されたのはフィリピン・レイテ作戦からで、昭和19年(1944)10月21日にセブ基地を飛立った生還の見込みのない「特攻機」(神風特攻隊)によるものでした。  この特攻作戦には「震洋艇」と呼ばれた水上特攻兵器も使用され、これは小型モーターボートの艇首に約250キロの爆薬を装備、人間が操縦して敵艦船に衝突し自爆するという無謀な作戦でした... ...続きを見る

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2011/03/20 08:57
悲運の戦時日本商船(75)
悲運の戦時日本商船(75)  これまで見てきたように、昭和19年(1944)秋から米軍を主体とする連合軍はフィリピン・レイテ島の日本軍との攻防戦に勝利、更に昭和20年(1945)1月初旬にはルソン島へ上陸し、着々とフィリピン全土の奪回支配作戦を展開していました。  このような日本側にとって益々戦況が悪化する中、今回ご案内するのはフィリピンを始め南方方面各地への重要中継拠点に位置づけられていた台湾へ、兵員や軍需物資の輸送などの重要任務に携わった船団例です。 ...続きを見る

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2011/03/10 07:53
悲運の戦時日本商船(74)
悲運の戦時日本商船(74)  当テーマの前回[こちら]で述べた沖縄防衛のための緊急輸送「カタ604」船団は、残念ながら所期の目的を果たし得ず途中で全滅しました。しかし、その後も先に当ブログの[こちら]で述べた「カナ804」船団、更には今回ご案内する「カナ304」船団を沖縄向けに送り、当地の防衛力強化を懸命に図ったが敵機動部隊や潜水艦に阻まれ、遺憾ながら悉く失敗に帰しました。 ...続きを見る

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2011/02/27 18:04
悲運の戦時日本商船(73)
悲運の戦時日本商船(73)  昭和19年(1944)12月末において、フィリピン・レイテ島における米軍を主体とする連合軍と日本軍との攻防戦は、連合軍側の圧倒的勝利に終わり、昭和20年(1945)1月6日にはルソン島に米軍が上陸、その後米機動部隊も北上し各地が激しい空襲に曝され、南西諸島もその制圧下に置かれました。  このような状況下にあって、近々の内に次なる戦場として沖縄への来攻を予期した日本側は、あげて沖縄の防衛力強化を図るため次々と緊急輸送船団を送ったが、以下ではそれらの船団の若干例についてご案内します。 ...続きを見る

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2011/02/13 09:06
大学博物館ランキング
 標記テーマについて、「大学ランキング2011年版」(朝日新聞出版、2010年4月25日発行)に大学附属博物館に係る評価記事が掲載されています。  これは朝日新聞出版が博物館などを設置している全国173大学の博物館(258館)にアンケート調査を実施、113大学から回答があったものに基づいて、「人文社会系」(歴史、文学、文化、総合博物館など)、「自然科学系」(医学、薬学、植物園など)、「芸術系」(美術、音楽など)の3種類に分類し、集計を行ったものです。  当海事博物館は「自然科学系」に属してい... ...続きを見る

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2011/02/08 10:54
悲運の戦時日本商船(72)
悲運の戦時日本商船(72)  太平洋戦争(昭和16年<1941>12月8日〜昭和20年<1945>8月15日)において、昭和19年(1944)の秋以降、フィリピン方面の海上決戦を終えた米機動部隊(第3艦隊)は昭和20年1月南シナ海に進入、日本と東南アジア方面ルートの遮断を企図し、これまで当ブログで見てきたように仏印東沿岸において、多数の日本輸送船が撃沈されました。  以下でご案内する2船団も同上海域で米艦載機により潰滅的損害を受けたものです。 ...続きを見る

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2011/01/28 07:59
悲運の戦時日本商船(71)
悲運の戦時日本商船(71)  当ブログの前回「悲運の戦時日本商船(70)」で述べた「サシ05」船団は、海南島・三亜から仏印・サンジャクに向かう途中の昭和20年(1945)1月12日、米機動部隊空母から発進した艦載機群の猛攻に曝され護衛艦を含め敢え無く撃沈されました。  今回ご案内するのは「サシ05」船団が全滅した前日の1月11日、サンジャクを発して台湾・高雄を経由して日本本土へ向かった「サタ05」船団です。 ...続きを見る

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2011/01/12 08:23
悲運の戦時日本商船(70)
悲運の戦時日本商船(70)  昭和20年(1945)1月になると、日本と米軍を主体とする連合軍とのフィリピン攻防戦、更に米機動部隊のウルシー環礁定着化に伴い、日本本土と南方方面との分断孤立状態を余儀なくされました。  一方、太平洋方面においても、1月上旬までにサイパン、グアムが陥落、同飛行場を飛立つB−29爆撃機により日本本土は度重なる空爆に曝されつつありました。  しかし、このような戦況下にあっても、戦争継続に不可欠な石油を始めとする南方資源の本土への輸送を図らざるを得ませんでした。今回ご紹介するのもその1例で、「サ... ...続きを見る

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2010/12/26 18:39
悲運の戦時日本商船(69)
悲運の戦時日本商船(69)  当テーマ「悲運の戦時日本商船(1)」でも述べたように、太平洋戦争中に南方石油を日本に輸送するルートは大別して、パレンバンの石油をシンガポール(ブクム島・石油ターミナル基地)経由で運ぶものと、ボルネオ島・ミリの石油を運ぶものとがありました。  しかしながら、これらルートの海域は米狼群潜水艦の攻撃や米機動部隊艦載機などによるフィリピンを含む西部大西洋方面での活動が、特に昭和19年(1944)10月以降において極めて盛んになり、台湾海峡、ルソン海峡あるいは南シナ海北部方面におけるタンカーを含む日本... ...続きを見る

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2010/12/10 19:29
悲運の戦時日本商船(68)
悲運の戦時日本商船(68)  太平洋戦争(昭和16年<1941>12月8日〜昭和20年<1945>8月15日)における日本の立場は端的に言って、特に石油を確保するための戦争であったと見ることができます。開戦前に米英支蘭側のとった経済封鎖が日本にとって致命的であったのは、この油の入手が完全に断ち切られた事でした。  開戦当初、日本の年間石油需要量は少なく見積もっても350万トンであったが、日本の国内生産は年間約30万トンの天然油と約20万トンの人造石油のみでした。このため日本は東南アジア方面に進攻、蘭印などからの南方石油を... ...続きを見る

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2010/11/24 07:35
平成22年度「企画展」および「市民セミナー」を終えて
 平成22年度(2010)の当海事博物館主催の企画展および市民セミナーが終了しましたので、これらへの参加者数について、以下ご案内します。 ...続きを見る

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2010/11/14 10:33
悲運の戦時日本商船(67)
悲運の戦時日本商船(67)  当テーマの前回(66)で述べた「タマ28」船団は昭和19年(1944)10月初旬、フィリピン近海において米潜水艦あるいは艦載機による攻撃に曝され、輸送船多数が犠牲となり戦況は日本にとって次第に不利な状況になりつつありました。  このような情勢の打開を図るため、日本側は陸続と兵員および武器弾薬などの軍事物資輸送をフィリピン向けに行ったが、今回ご紹介するのはその1例で、この時期としては幸運にも無事任務を終えた「モマ04」船団です。 ...続きを見る

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2010/11/08 19:47
悲運の戦時日本商船(66)
悲運の戦時日本商船(66)  昭和19年(1944)10月20日以降、フィリピン・レイテ島に於ける熾烈な日米攻防戦が行われたが、当テーマの前回でご案内した「ミマ11」船団の輸送作戦は、レイテ決戦の直前に当たっていたため、既にマニラ方面においても米機動部隊艦載機などによる空爆が繰返し実施されていました。  今回ご紹介するのはこのような最中の昭和19年10月初旬、マニラを出航して高雄へ向かった「マタ28」船団です。 ...続きを見る

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2010/10/25 08:11
悲運の戦時日本商船(65)
悲運の戦時日本商船(65)  日本は太平洋戦争中<昭和16年(1941)12月8日〜昭和20年(1945)8月15日)、東南アジア方面より戦争継続に不可欠な石油、ボーキサイト、マンガンや生ゴムなどの天然資源を日本本土へ運びました。これに携わったのが政府に徴用された商船(輸送船)で、兵員や軍需物資の諸戦場への輸送を含め、商船が極めて重要な任務を遂行した事は、これまで当ブログで縷々述べてきた通りです。  今回ご案内するのは「ミマ11」と名付けられた船団で、重油を主体とする資源をボルネオ・ミリよりマニラを経由し、最終的には日本... ...続きを見る

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2010/10/10 08:53
悲運の戦時日本商船(64)
悲運の戦時日本商船(64)  当テーマの前回ご案内したように、日本とアメリカを主とする連合国との間で行われたフィリピン攻防戦に対処するため、日本側は昭和19年(1944)中頃より、関東軍将兵の一部と隊属軍需物資を陸続とマニラ方面などへ輸送し、懸命に兵力の増強を図りつつありました。  一方、この軍事行動に不可欠な航空機、戦車あるいは軍用車輌へのガソリン等の石油製品の確保も最重要事項で、この任務にタンカー船団多数が石油輸送に携わりました。今回ご紹介するのもこの目的でシンガポールからマニラ向けに出航した、「神威」と呼ばれた船団... ...続きを見る

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2010/09/24 07:25
悲運の戦時日本商船(63)
悲運の戦時日本商船(63)  昭和19年(1944)10月、米軍がレイテ湾入口に在るスルアン島に上陸、日本軍と連合軍との熾烈なフィリピン攻防戦が開始されました。日本側はそれよりも早くからこれに至る情勢を察知しており、特に同年8月以降から連合軍の反攻に対する準備を着々と行っていました。  しかしながら、この間にあって最も重大な問題点は、ルソン海峡に跳梁跋扈する米潜水艦の存在で、当時、フィリピン防衛に向けて内地を出航した船団の半数近くが、米潜の狼群攻撃によりマニラなどの目的地に到達できなかった事でした。  この最中に、十分... ...続きを見る

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2010/09/08 19:01
悲運の戦時日本商船(62)
悲運の戦時日本商船(62)  これまで当シリーズで見てきたように太平洋戦争中<昭和16年(1941)12月8日〜昭和20年(1945)8月15日>に、日本海軍は大型客船を改造して特設航空母艦を建造し、種々の作戦に利用しました。今回ご案内する「八幡丸」も新鋭貨客船として約1年間就航後、航空母艦へ改造されたものの1例です。以下では本船の誕生から終焉に至るまでの概要をご紹介します。 ...続きを見る

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2010/08/24 07:55
悲運の戦時日本商船(61)
悲運の戦時日本商船(61)  昭和13年(1938)の初め頃、日本郵船はヨーロッパ航路へ新しく配船する客船3隻の建造を企図しました。それらは先に同航路へ就航中の鹿島丸、香取丸、諏訪丸および伏見丸の何れもが船齢40年を越えたため、それらの代船として計画したもので、NYK(日本郵船株式会社)に因んで新田丸(N)、八幡丸(Y)および春日丸(K)と名付けられた3姉妹船でした。しかしながら、春日丸は前回の当テーマ(60)でご紹介したように、本船の進水直後から海軍に買い上げられて特設空母への改造が実施され、航空母艦・隼鷹として竣工しま... ...続きを見る

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2010/08/08 09:18

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