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help リーダーに追加 RSS 太平洋戦争と日本商船動向(1)

<<   作成日時 : 2006/06/16 20:30   >>

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ポツダム宣言を受諾して、日本は昭和20年(1945)8月15日無条件降伏し、昭和16年(1941)12月8日真珠湾攻撃で開戦した太平洋戦争が終結しました。
 爾来、周知のようにわが国は60年余に亘って戦争放棄していますが、戦前において戦争突入に至った経緯や背景、あるいは戦時中の主たる戦闘地域等について、主として陸・海・空軍の戦闘行動に関する詳細な、いわゆる戦史がいまなお多数刊行されています。
 しかしながら、それら戦史にはこの大戦時における日本軍の幾多の兵員や武器弾薬の輸送など、戦争遂行に不可欠な責務を担った多数の輸送船(商船)については、それらの戦時下における行動実態が殆ど触れられていません。そして、昭和16年12月1日の時点でトータル630万総トンを有した船腹は、その殆どが軍に徴用されましたが、最終的には戦時中の新造船舶を含めて2300余隻、800万総トンの商船が喪われ、6万名もの船員(機帆船及び漁船乗組員を含む)が戦禍に斃れました。
 今回から当ブログにおいて、当方海事博物館に関する一般テーマのほかに、去る平成14年(2002)5月に出版された、野間 恒編著商船が語る太平洋戦争 =商船三井戦時船史= 」に基づいて、戦時中大阪商船及び三井物産(昭和17年から三井船舶)に所属した商船の行動記録(両社の喪失船数は計281隻)を引用しながら、その一端をご紹介します。
画像

淡路山丸(三井物産)
 上図が本船でその要目は、長さ145m、幅20m、主機ディーゼル10809馬力、最高速力19.9ノット、総トン数9794トンで、昭和14年(1939)に建造されました。同年8月より新鋭高速貨物船としてニューヨーク航路に就航しましたが、昭和16年7月に陸軍輸送船となりました。
画像 淡路山丸はマレー半島上陸作戦に参加し、本船ほか2隻の商船に歩兵第56連隊と山砲1個大隊の将兵計5500名を乗せて、昭和16年12月7日にタイ国境に近い英領マレーのコタバル敵前上陸に向いました。他の輸送船及び護衛駆逐艦と共に7日23:55密かにコタバル沖に投錨し、8日01:35以降上陸用舟艇による兵員等の揚陸を実行(真珠湾奇襲より約2時間前)しました。揚陸中の05:00英軍ロッキード・ハドソンEB-14B機3機が飛来して、本船に60キロ爆弾を投下しましたが、それが2番ハッチ搭載の装甲艇に命中し、オンデッキの航空燃料ドラム缶等に引火して、一面大火災となりました。生存者の証言に依れば、この爆弾炸裂により2番ハッチデリック責任者だった吉田駒男操舵手が、ウインチのハンドルを握ったまま血まみれで突っ伏しており、同操舵手が日本船員で最初の犠牲者になりました。その後火災は更に広がり発電機が停止するなどして船の機能は全て失われたので、総員退船命令が下されました。船はそのまま燃え続けましたが、乗組員は護衛駆逐艦に07:00救助されました。
画像 ところで、最終的には淡路山丸は12月12日にオランダ潜水艦K-12の雷撃を受けて沈没したとの記録が残されていますが、この優秀商船は僅か2年の短命に終わりました。
 なお、この作戦時における兵員以外の戦没者は、長崎出身の吉田操舵手1名でした。

(注)ポツダム宣言」については、例えば[こちら]をご覧下さい。

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内 容 ニックネーム/日時

 私は元戦時徴用船生き残りのひとりで、戦時中乗船した5隻中4隻が戦没し、最後の1隻だけ奇跡的に生き残りました。誰でも戦時体験は悪夢であり思いだしたくたくないのですが、空しく戦死した仲間の鎮魂と子孫への遺言のため拙い自分史(硝煙の海)を自費出版し、併せてHP http://www.geocities.jp/kaneojp/
でも公開中です。さて今般 御プログに出会いコメントさせていただきます。
 「太平洋戦争と日本商船の動向」について掲載されることは大歓迎です。黙々と兵站輸送に挺身、数多の犠牲を強いられた商船の悲劇的な戦史が僅少であることは遺憾に堪えません.
 私は大同海運所属ですが、これが記録は一覧表だけで資料収集に少なからず苦労しましたので、私見を開陳したいと思います。
 御プログは「商船が語る太平洋戦争」を引用なさるようですが、できればもっと広範囲に隠れた記録を発掘して掲載願いたいと思います。
 いまやインターネットの普及で陸海軍戦記も数多く公開されていても、商船関係はごく僅かですので何卒よろしくお願いいたします。
kane
URL
2006/07/02 17:02
kaneさま コメント有難う御座いました。
貴Web Siteを拝見しました。大変貴重かつ有益な諸
資料のご紹介に対し、深く敬意を表する次第です。
ところで、本テーマに関する当方Blogは書き始めた
処ですが、今後の投稿方針等については、後に別途、
貴HP記載の貴メール・アドレスへ連絡させて頂く所
存です。将来的には昨年6月投稿記事の
http://kondoh-k.at.webry.info/200506/article_1.html
へ連携し案内出来れば、と考えています。
 
hokura
2006/07/02 21:13
日本海軍は戦前、対潜水艦戦闘の訓練を全くやってなかったと言っても過言で無いでしょう。
戦争中も、日本海軍の駆逐艦以下の対潜艦艇の艦長は、敵潜水艦を見ると頭に血が上って、全力で敵潜水艦に駆け寄って、爆雷を放り込む。潜水艦の探知はソナーで行いますが、現在の技術でも20ノット以上の速度で走っている時に、ソナーを使用しても、自分の出す雑音(スクリューのキャビテーションノイズ等)でソナーはツンボになると言うのが常識ですが、そのような訓練やってません。
アメリカの潜水艦は戦争末期になると、日本の対潜艦艇を見かけると、わざと浮上をしてオイデオイデをする。全速で突っ走ります。アメリカ潜水艦は急速潜航をして、魚雷の回避が不可能になる、1,000mまで接近するのを待って、艦尾発射管から魚雷を発射してジエンドです。
日本海軍の研究者には、太平洋戦争で撃沈された日本海軍の対潜艦艇の7割が潜水艦にやられたと言う人もいます。それでも、太平洋戦争中、日本は56隻のアメリカ潜水艦を撃沈しました。
日米の対潜戦闘の違いについては、どこに書けば宜しいでしょうか?
太田守人
2008/04/26 10:40
当方とは別のしかるべきSiteへ、投稿されては如何でしょうか。
hokura
2008/04/26 11:58

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